流れ星を待ってる


最近の趣味は残業です。重量を量ってみたら4.8キロもある書類を前にして、にこやかに遠くを見つめたり、途方に暮れたりしています。その遠くというのは水平線までとはいかないのですが、まあ、車がなかったらちょっと行くのはどうかしていると思う距離です。
でも、しかたがないので先を見ずに足元だけを見て、テクテクと歩いています。


残業代なんかいらないから時間が欲しいというのは、贅沢な思いかもしれません。でも、真心から思います。素直な思いとして「働かないでお金が欲しい」心の底の底からそう思います。


この真摯な願いはどうして叶わないのか、この世界に神様はいないのだろうかと感じます。働いて働いても我が暮らし楽にならず。上を見ても下を見ても結局自分の立っている現在位置は変わることがなく、ドンとただ自分の暮らしそのものがリアルに屹立しているのみです。

だから、あなたの今の暮らしはいいじゃないかとか、ひどいんじゃないかとか言われても、どう思考を変えてみても現実と認識を方向転換することはできません。


だから、人それぞれのケースとそ比較しても意味はなく、ガッカリしたり絶望感を味わったりするだけなので、変に知恵とか知識とか情報を得てもしょうがないんだなというのが年齢を重ねて分かった結論です。

それはしょうもないなぁ。結局「社会の事例とか事件をよく知っていても意味はないし、別に他の人のことは気にすんな」だからです。


(この絵は、自己最高新記録の22secで描きました。山はカネカネカネと字を書くところでした)

いつだったか、もう亡くなってしまった俳優さんが言っていました。昔、流れ星を見たら、隣でお母さんがすごい勢いで「カネカネカネ」と早口でつぶやいて引いたそうです。

今、私はその時のお母さんの気持ちがよく分かります。流れ星を見たら、写真を急に撮ろうとしたり、ファンシーな祈りを投げかけるのではなく、シンプルに「カネカネカネ」とつぶやくよう、心がけています。

だから、最近の私の趣味は流れ星を待つことです。しかしながら、私は窓のない、二重扉で気密な状態となっている部屋で仕事をしており、定時が終わってもそこでちんまりパソコンをカタカタカタカタピッピッピとしているので、星を見る機会は帰り道の数十分しかありません。でも、そのレアな機会に見ることができれば、その願いが叶う可能性がちょっと高いんじゃないかと、ばかな向日性を持った植物のような希望をほんのすこしわけの分からない方角に向けて思ったりもしています。


「流れ星を待つこと」それが私の今の趣味です。冒頭で残業と書きましたが、変に自虐的な感じで嫌みだなと思ったので、書きながら途中で変えました。


働きたくないし、お金が欲しい。そして流れ星を待っている。それが私の今の心からの願いです。確率論を自分で検定したかのごとくにバカにして買わなかった宝くじも、今は買っています。だって、あたる可能性が1じゃなく複数回あるんだから、当たる確率はなかなかのものです。

自分の持っている時間で何時間か働いたお金で、何倍ものお金が当たる機会を逃すのは機会損失だと、またへりくつをこねてしまいました。


あーあ。働きたくないなー。お金いっぱい欲しいなー(のんびり横になってネット見てご飯食べて安い服が買える程度に)

読み返してみたら、自分にがっかりしたけれども、それでまあいいや。

ツイッターでも会いましょう。
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ルンペンとラプンツェル

(詩・曲/クララサーカス)

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どこのうちでも学校でも
おいらと遊んじゃいけないって言ってるし
右や左のだんなさまのおめぐみも底をついた

こんな日にかぎって天気がいいのは
神様の気まぐれなやさしさのおかげ
おいらは光をほおばって
いつもの通りを笑われながら歩いた

ああ またあの子は窓辺に石ころ並べてる 髪を切られた
お人形みたいな ぼろぼろな女の子
人はほんの少しの石だけを 宝石だって思いこんでるけど
それがどんなにおかしなことか あの子は知ってる

髪を切られたラプンツェル
おいらたすけてあげらんない
髪を切られたラプンツェル
おいらたすけるすべもありゃしない

ミドリムシと私

ミドリムシは湿気が好きである。いつも私のお尻の穴の中に入ったままほぼ一日を過ごす。
性格はちょっと臆病で、そのくせ好奇心が強いときているから扱いが難しい。
だいたい全長は5センチぐらいで、太さは1センチ弱。お尻の中で暮らしているくせにきれい好きで、汚れた体を一日中身繕いして鮮やかなグリーンの体色を保っている。

穴倉の中で暮らしているくせに暑さには意外と弱い。最近テニスを見よう見まねで会社の同僚と行うようになった私が、昼休みに一戦終えて体温を上昇させると、チロチロとはい出てきて、言葉は悪いが私のきんたまの裏でじっとしている。そんな時にトイレに行き、様式便座に腰掛けると、股の間からどこが目か分からない顔でじっと私の顔を見る。ミドリムシの視覚がどの程度発達しているのかは分からないし、たぶんほぼ見えていないのだろうけれど、トイレで何度か顔を合わせるうちに愛着が沸いてきた。

こっちがミドリムシを見ると、それが分かるのかサッときんたま方面に避難するくせにすぐまた出てきたりしてかわいいところもある。仕事をしているとき、ヌッとお尻の中で感触があると、「ああ、ミドリムシよ…」と思って応援してもらっているような気持ちになる。

ミドリムシがどうやって私のダイエットに寄与してくれるのかは全く分からない。どっかの教授がマウス相手の論文を三流専門誌に発表して、それを新聞が取り上げてブームになってゆくのかもしれない。

ダイエットへの効果はさておき、私のきんたまの裏で丁寧に身繕いをして、たまに顔を(臆病なので)見せてくれるミドリムシに対して愛着が沸いてきたのは確かである。ひとり分だからめんどくさいと思って抜いていた朝ご飯も、「ミドリムシが腹を空かせて困りはしないか」と思うあまりにせっせと摂取している。これはダイエットにとっていいのか悪いのかさっぱり分からない。

それでも、孤独な毎日の中でお尻の中にミドリムシがいてくれるというのは悪くないものである。誰かのためにがんばるのは悪くない。その誰かがミドリムシというのはいただけないが。仲良くやってゆきたいものである。


ミドリムシダイエットが気になるという話を耳にしてから、そのことばっかりを考えてしまいます。事実とは相当な距離感を持って違うので注意してください。というか、だれかミドリムシダイエットを実際にやってみて下さい。

バイオザイム

バイオザイム

エリートミドリムシ

奥さんの入院

私は、寒い部屋でパソコンのキーボードに向かっている。パソコンの乗っている机の上は乱雑で、お茶や飲み干したお酒の缶を潰したもの、未開封の書類などで埋め尽くされている。
傍らにはメモとプリントアウトされた申請書が並んでおり、そこには入院する際に必要になりそうなものを書き出している。

奥さんが入院する。部屋の中では夜中にも関わらず、すこしバカな犬がリンゴをかじっていて、エアコンをつけてはいるがまだすこし肌寒い。別段何が起こったわけでもないような、普段とまるで変わらない状況である。

すこし前に雪がこの地方(三重県北部)にしてはどかっと降ってキリッとした寒さが訪れた後に徐々に春に向かっているような空気に変わってきている。いつもならばこの季節はなんだかよく分からないが嬉しい予感を感じる季節である。

西に望む山の頂上付近には雪が目につくが、カカさんが住んでいる場所(長野県)に比べればなんてことはないささやかなものだろうなとふと思う。

どこでこんがらがってこんな事になってしまったのかと自問する。答えは出ないし、誰が悪いとか考えても意味はなく、前進するために何をすべきかをシンプルに考えて一つずつ実践していくしかないとは理解している。

奥さんの母親に今はこういう状況で(奥さんが恒常的に鬱状態にあり幻聴が聞こえてきてしまい混乱した状態が続いている)と話し、ひとつの手として入院してもらうことを考えていると伝え、遠く離れて力になれないことが寂しいし、あの子のことがかわいそうでどうしても泣けてくると電話口で涙され、本当に義理の親不孝をしていると感じている。

私の後ろでは犬がリンゴを相変わらずシャリシャリと、とぼけた顔でかじっている。

入院して離れてしまうのが寂しいし、なにもできなくなるし猫たちと離れるのも不安だと奥さんは言う。飼っている何匹もの蛇たちの世話と猫の世話、それと朝晩の犬の散歩(片足を上げながらウンチをして全力で走り続けようとするばか散歩)をしなければならない。私も奥さんをカオス状態にある人々が集う病院に預けるのは寂しいし心配である。それでも今のところ打つ手がそれぐらいしか考えられないほど、状況はじりじりと悪化していっている。

すこしずつでも良くなればいいなと考えながら、別段こんな事を文章にしなくてもいいと思いながらタイピングを終える。自分の力ではどうしようもないところまでやってきたので、もしよければささやかな幸運を祈ってください。

犬は呑気に丸いリンゴを工夫しながらかじっている。短い前足でよくもまあ上手に押さえるものだと感心する。

うめぼし食べたい

朝ご飯の最後に、いつも梅干しを食べていた。一緒に食べているおじいさんが梅干しを本当は嫌いだと打ち明けてくれた。二人の秘密だ。
おばあさんはいつも、おじいさんによかれと思って「梅干しは体にいいんですよ」と何度となく繰り返された言葉を口にする。
僕はそれをすこしばかばかしく思う。
ある日、まだ眠たいのに起こされて、気持ちがくさくさしていたので僕は腹を立て、「おじいさんは梅干しがずっと嫌いなのに無理して食べてるんだ」と教えてしまう。
おばあさんはちいさなこえで「そうなの」とだけ答え、部屋に戻ってしまう。
家の中のいつもある朝の音がない。僕はひとり、自分の部屋で耳を澄ます。二人が離婚したらどうしようかと不安になる(おじいさんとおばあさんはしょっちゅう別れるの別れないのでもめていて、僕の両親が仲裁に入っていた)。

次の日の朝、いつもより早く目が覚めた。台所からはいつもどおりの朝ご飯の音がして胸のつかえがすこし取れた。
起きたら謝ろうと思っていたのに、おじいさんの方から「一緒になったばっかりの時に、俺がばあさんの梅干しをおいしいおいしいと食べたのがいけなかったんや」と先回りして言われてしまったので僕は言う言葉をなくす。
僕は違うと言いたかった。いまではすこしその時の人の気持ちも分かったような気がするけれど、何が正解かはまだわからない。

小川さん

小川さんの奥さんが妊娠した。当然、周りの人たちはお祝いを述べる。それに答えてお礼の言葉を返すのが普通だが、小川さんはちょっと違って、「危険物乙4種に合格した方がうれしかった」「これからおこづかいはどうなるのだろう」といった言葉を、なんの悪気もなしに言い放つ。
そんな小川さんだが奥さんのことはとてもかわいいと思っている。「奥さん、どんな人?」と質問を受けると、「南国育ちで(沖の伊良部島)かわいいですよ」とクールに答える。奥さんのことを訊ねられて、クールに「かわいいですよ」と答えられるというのは見習うべきだと思う。

そんな奥さんは妊娠してからつわりがひどい。「猿みたいですよ」と小川さんは言う。「猿みたいな格好で、こう、ゲー・ゲー」その身振りを真似しながら語る。非常に滑稽である。全く奥さんのことを馬鹿にしていないにも関わらず、話をしている人がぎょっとするようなことを口にする。それが小川さんである。


小川さんは仕事でエタノールを使うとき、ひとりだけ顔全面を覆うプラスチックのお面をかぶり測定作業をする。エタノールを吸い込むとフラフラとするし、アルコールに対してのリスペクトがあるからお面をするのだと、小川さん以外には理解できない「ルール」にのっとった回答をする。

そんな小川さんも父親になる「お前もお父さんだからしっかりしないと」そんな普通の質問にも「ははぁ、びっくりしますね。子供が生まれたらびっくりしますね」と、話を振った方が驚くような答えしか返ってこない。

そんな小川さんは今日もご機嫌で、午後になって行くに従ってなぜか調子に乗ってくる。「うなぎのぼりやな」と声をかけられると「こうね、キュッとキュッと元気になるんですよ」と虚空を切る真似をして満面の笑顔でした。誰も「キュッと」の意味が分からないのにみんなあいまいな笑みで「また言ってる」的な空気になりました。でも、その空気感はちょっといい感じで、私は好きです。

僕と犬

私は犬を飼い始めて半年を過ぎました。犬種はペキニーズ。かの西太后が着ていた着物の腕の裾の中に鎮座していたといわれる、語りぐさを持った犬種です。
とにかく今まで飼った犬の中で体が一番小さいのに、一番負けん気が強く、悪さをして怒ってしつけをしようとすると「グルルルルルル」とうなり声を上げて反抗的な態度をバリバリ示してきます。
奥さんが家の外に出かけられないことが多いので、散歩が外に出るきっかけになってくれればという願いも込めて我が家に去年のクリスマスにやってきました。名前は「キティ」ですがオスです。

言うこと聞かないこと山のごとしですが、なぜかトイレだけは覚えてくれました。平民さんのワンコ1号に見かけが似ているような気がします」。

 

絶望的にアホな子だなと思いながら、暴れながらお腹を見せてご機嫌なキティさんを見ているよ。こんな毎日なのさ。統計学とQCと射出成形にやられながら日々を過ごす毎日さ。