結婚しました(覚悟完了)


私は覚悟を決めたことがない。進学・就職の時も、大きな病気にかかったときも、就職先を決めるときも転職するときも、人と付き合ったり別れたりするときも。
すべてなんとなく流されるままにというかレットイットビーケセラセラなるようになるさ……といった調子で、悪い意味で柔軟にやってきた。その中で失敗もなんとなくやりすごせたことも取り返しのつかないこともあったけれど、現在は仕事の忙しさに押しつぶされそうで、体力的にも精神的にもしんどいながらもなんとかかんとかやっている。案外腹を括らなくても人生はやっていけるというか、雑なうねりの流れの上で浮いているだけかもしれないが。

日記をここ(インターネット上)で書いていることによっていいことがたくさんあった。悪いことはほとんど起きなかった。物事を捉える姿勢次第といえるのかもしれないが、どちらかというと目の前で起きている出来事をすこし引いた場所から細い目で見ているような自分がそう感じるのだから、かなりインターネット上で幸福に恵まれているんだろうと思う。

インターネット上では普段の生活で人と接して受け取ることのできる「やさしさ」よりもより純化して抽出された「好意」を受け取ることができるように思う。そしてしんどいときにその気持ちを直近にいる人に話すよりも、その気持ちを素直に吐き出すこともできる。それは錯覚や逃避行動だと捉える人もいると思うけれど、なにも外にアウトプットせず心のなかに澱をため沈み込んでゆくよりずっと良いことだと私は考えている。


こうしてちょっとしたまとめ的なことを書いていると、さよならの挨拶をしているような気持ちになってくるけれど、今回の日記はそうではなく、自分の身に起きたちょっとした変化について覚え書きをしておこうと思う。どうしてそんなことを書こうとおもうのかと自問してみたら、うすぼんやりと、親しい友達に話をしておきたくなる気持ちに似ていると感じた。

現在、私はちょっとしたアイソレーション的な状態にあり、親しい友人たちと連絡をほとんどとっていない。それは別段大きな理由も障害もあるわけでもなく、ただメールなり電話なりの連絡を一回取れば済むのに、その一歩が時間が経つごとに微妙にハードルが上がりどうにも取りづらくなり、年を取るごとに人と疎遠になってゆくというのはこんなものなのかなと実感している。この感触を他の人たちも感じているのか、年を取るごとに流れている時間の流れが加速しているせいなのかどうかは、はっきりとはわからない。


私は周囲で起こっている物事や人の人生を垣間見てそのことを書いたりしてきたけれど、自分や身近な人について考えたり書いたりすることはあまりなかった。それは実際の人生においても同じで、自分の人生や人の人生について積極的に関わることがなかった。自分の責任で引き受けるのが怖かったのだろう。そうして無責任に30歳を過ぎるまで生きてきて、それまで幸運にも自分を好きになってくれる人がいたため、別段結婚しなくてもこうやってやっていけてるしご飯も掃除も洗濯もゲームもネットも仕事もあるしな……と言い訳してきた。


しかしそろそろ人生において一個ぐらい覚悟を決めて引き受けなければいけないな……と腹を括り、離れた街でやせっぽちになって心細い顔でいる彼女のことを心配して暮らすより、一緒にいてしんどいことも楽しいことも全部引き受けてやっていこうと思い、結婚することにしました。ずいぶん前になぜか関ヶ原古戦場、石田三成の陣があったあたりの休耕田ですみれの花を摘んだ彼女に野の花のブーケでプロポーズされたという書いていてこれを涼しい顔でタイピングしている私すごい豪胆だよね……という出来事から半年後のことです。

こう書くと今から結婚するような感じですが、けっこう前のことなのです。これからこの日記で自分や彼女のことを書いていこうと思ったので、こうしてここで報告しています。


自分でも「どうして僕はこんなところに」と不思議に思うのですが、今は結婚してド田舎の柵のない一軒家で猫3匹と犬1匹と蛇30匹弱とヤスデやタランチュラ&ねずみが大勢と暮らしているのですが、それはこれから書いていこうと思っています。


kakaさん,strangefruitsさん、ありがとう。ほんとうに大きな感謝を込めて。


結婚しました(覚・悟・完・了!)