きかんしゃ やえもん

私は子供の頃、夏休みになる度に、日本の地方に住んでいた親戚の家に預けられました。母親の弟が住んでいた京都で夏を過ごすのが常だったのですが、母親の弟にもなにか事情があったのでしょう。小学校三年生か四年生ぐらいの時、京都駅に迎えに来てくれた後、車で四条の近くに運ばれ「一週間ぐらいで迎えに来るから」そう言い聞かされて、それまで一度も会ったことのないおじさんの家に預けられました。
その家のおじさんはちょび髭を生やしており、明らかに普通のおじさんとは違いました。朝、ご飯を食べずに、ちいさなヒラメの干物「でびら」と甘い漬物「ならづけ」をアテにしてお酒をくいっと飲んでいました。子供心に「このおじさんはちょっとろくでなし」と分かっていましたが、仕事の打ち合わせなど色々なところに連れて行ってくれ、最高に気の合う友達のように付き合ってくれました。百貨店で砂絵を20個ぐらいやらせてくれたり、一日中お菓子ばっかり食べさせてくれたりと、子どもにとってはまるで神様。
謎のおじさんの謎部分は、何日か過ごすうちにすこしづつ分かってきたのですが、おじさんは着物の帯に絵付け(図案、デザイン?)をつけるような仕事をメインにしていた職人で、しょっちゅう布らしきものや、きれいな糸がたくさん詰まった木箱を持っている人たちが家に出入りしていました。物をやり取りするたびにお金ができたり減ったりしているのは、その頃の私にとって奇妙に感じました。お金やチェックは銀行から貰うものだと思っていたから。
そこに滞在する間、一緒にご飯は食べないのですが、おじさんの家に出入りするずいぶん若い着物のお姉さん達が料理を作ってくれました。
さすがに子どもの相手ばかりしていて仕事の予定が押してきたのか、ある朝、「おじさん、仕事しないとまずい。今日は一日ひとりきりで遊びなさい」と言いつけられ、千円札を貰いました。外に遊びに行ってもよかったのですが、周りが大人向けのお店しかなかったのもあり、出てゆくのがちょっと怖かったので、家の中を探検することにしました。
昔からある、ぼろい京都の家だったので、間口が本当に狭く、奥に向かって細長い作りになっていました。家の中に庭ともいえないような庭のようなものがあり、昔の井戸があったところをつぶしてあったり。古い巻物がたくさん入っている段と段の間に隙間が開いているタンスなどを物色して、忍者の巻物を探したりしました(当然見つからず)。
一階と二階の中間ぐらいに、微妙なスペースが作ってあり、センスのないロフトのような形状になっている場所がありました。そこには木で作られた、大人でもすっぽりと入り込めるほど大きな物入れ(長持ち?)が横たわっており、子どもの力でなんとか蓋を開け、中を覗き込むと、子供用の本や服、おもちゃなどが入っていました。「宝箱発見!」と興奮した私は、おもちゃ(色が焼けていたお手玉や安っぽい作りの万華鏡)や本を取り出し、布団が引きっぱなしになっている寝起きしている部屋に持ち込みました。
そこにあった本が、その当時でもぼろぼろの表紙だった「きかんしゃ やえもん」と「アグラへのぼうけん旅行*1」でした。夕方になり、オレンジ色の太陽の光が差し込む部屋で読んだその話は筋はしっかりと覚えてはいませんでしたが、とにかくやえもんがもう用無しで火事をおこしてしまうという内容だけは記憶にあります。時代遅れとなり、リストラされるという現在でも十分に通用する主題です。とにかく鉄くずになるやえもんがかわいそうでかわいそうで。

その時は最後まで読む事ができませんでした。外がすっかり暗くなった頃、夕ご飯の時間を知らせるため、おじさんが部屋に入ってきました。「ごはん…」と言いかけた時、おじさんは床に置かれたその本を見つけると、無言で本とおもちゃをさっさと片付け、両手に抱え長持ちの所に持って行き、蓋をずらし、底に向い乱暴に落としてしまったからです。おじさんは笑ったようにも、怒ったようにも取れる、表情がないような表情(矛盾しています)をしていました。私は当然怒られると思いましたが、その場ではなにも言われませんでした。
その後、何事もなかったように夕ご飯(たしかオムライス)を食べている時に、「昔、おじさんにもアンタくらいの子どもがおってな、おらへんようになってしまったんや。子どもがおらへんようになったら、およめさんもおらへんようになった」と、こちらがなんかまずい事をしたなと黙り込んでいるのを察してか話してくれました。おじさんの説明では細かい事はさっぱりわかりませんでした。いまだにどういう状況だったのかは分かりません。「きかんしゃ やえもん」という文字を見ると、モヤモヤとしたかなしい気持ちになる訳を考えてみたらこんな文章になりました。おじさんが誰で、どんな関係の人だったのかは今でもよくわかりません。



きかんしゃやえもん (岩波の子どもの本)

きかんしゃやえもん (岩波の子どもの本)

絵本「きかんしゃ やえもん」の挿絵

*1:うろ覚え。象を見に行くちいさな姉弟の話。インド風の雰囲気でした