心配されたい/たくない

  • 病気だと判明した日

最近、私は体を悪くして、病院に入ったり、通院したりしています。大まかに説明すると、煙草及びその他もろもろの要因によって、肺の機能が大幅に低下、直る見込みのない悪性腫瘍*1ではないけれど、しばらくの期間治療して、経過をしっかり見ていかなければならないという状態です。*2まさに不幸中の幸いという言葉どおりの状態ですが、やはり幸いといっても不幸には変わりありません。
最初に病院でカウンセラー同席で体の状態について話をされたとき、ちょっと頭がクラリとしましたが、詳細な説明をされ、治療方針を話し合って決めてゆくうち、不安感などは取り除かれてゆきました。薬や治療法などについても自分なりに調べ、納得する方法を選択できるので、今は患者にとっていい時代だなと思います。
病気についての不安感はすぐに取り除かれましたが、次に考えなければならなかったのが治療費の問題です。今は高額医療費を府が補助してくれるシステムがあるので、一ヶ月の治療費は多くても七万円強に抑えられるのですが、それは一度治療費を病院に支払い、ある程度のめどがついてから病院から役所に精算を連絡という流れになっています*3。私の場合はこの場合、幸い中の不幸*4というものですが、加入している保険が、一般的に重度のガンだったらサクッとお金がもらえるのですが、私の場合は三大疾病とその他もろもろの「もろもろ」部分に含まれない病気のため、ちょっとの見舞金しかもらえません。加入してから初めて細かい部分まで目を通した保険の約款を眺めながら、なんでこんなちょっとのお金をケチったのかな*5……とブルーになりました。だめ元でアフラックとかに加入の連絡してみるか*6…なんて考えながら。
そこで無駄な反省会が始まります。今の自分(かなりクリーンで病魔と闘う勇者のイメージ)が、かつての自分(煙草をプパーッとふかしながらだらしなく座って「え?ゆるやかな自殺さぁ*7」とうそぶく感じ)をつるし上げ、地獄のセルフ反省会です。

  • そもそも煙草を吸わなければよかったんじゃないか
  • なんで保険のグレードケチったんだろう。
  • もっと早くに病院にどうして行かなかったんだ。ウスノロめ!

セルフ反省会をしているうちに、ふと気づくと部屋の電気を点けず、暗いところで小声で「だめだだめだだめだもーだめだ」とつぶやいている自分に気づきました。まるで街で見かける「いっちゃってる人」のように。心の底から驚いたのと同時に、なぜかあまりに自分を悲劇的に演出しているのかとちょっぴりおかしくもありました。笑い事じゃないのだけれど、笑い事じゃないからこそおかしいこともあるのです*8

あんまり考えても仕方がないことに気づいてからは、周りの友達に対してもへっちゃらな感じで接しているのですが、「でも、病気もたいした事ないしな」という態度であたられると、無性に腹が立ってくるのです。私の人間がそれほどできていないこともありますが、どうしてこのように考えるのか解析してみました。

  • 私は病気に対して、「ちゃら、へっちゃら」という態度
  • 友人達は、普通の態度で接するけれど、「ああ、大変だけれどもこいつなりの方法で頑張っているんだな」と(心の中、もしくは私のいない場所)で応援
  • 普通のやり取りの中でたまにホロリとさせられる
  • 病気だからと、私に色々と制限をしない*9

これが理想です(しびれるほどに自分勝手!)
心配されたくないのだけれど、やはり色々と不安になったりもするので心配もされたい。複雑な年頃です。人間だもの。

*1:肺がん

*2:病状について細かく記述してもしかたないので

*3:所得が低い場合などは、補助がもらえる部分の費用を先払いしてもらえる場合もある

*4:病状が軽かった事により、金銭の負担が増すため

*5:一ヶ月に500円程度の差でした

*6:告知義務違反

*7:そんな言葉を吐いたことはない

*8:意味がわかりづらいけれど、まあ、なんとなく

*9:長期入院、健康食品とか