泣き笑いで鶴太郎

病気で入院していた時、あぶらっこいお菓子を買いに行ってもらったり、悪さをする友達になった人のお母さんから、いきなり電話がありました。「元気で物が分かるうちに一度来てもらえないか」そう聴き取りづらいほど小さな声で私にお願いをされ、当然即答ですぐに行きますと答えました。
一緒の病院に入院していた時、私が先に退院すると決まった時、そのことを伝えると、「ええなぁ、先にずるいなぁ、なんであんたばっかり」と笑いながら腕をけっこう強い力でボコボコ叩かれた事を思い出しました。「退院しても、しばらくは暇だろうからちょくちょく遊びに来てよ」と言われ、退院してから一度だけ訪ねました。いつも通りにバカな話をして、運動のために回廊をぐるぐる二回廻り、そろそろ時間だなと帰ろうとした時、私が何度も「部屋でいいから部屋でいいから」と繰り返してお見送りはいいと断ると、怒ったように「こっちが送って行きたいからええやろ!」そう急に大きな声を出され、病院の敷地ギリギリまでゆっくりと歩いて、バイバイと手を振った友達の姿があまりにもさみしかったので、行かなければ行かなければと思いながらも行けませんでした。
その友達のお母さんからの出動要請電話。私はお母さんとは面識がないのに、どうしてなのかと考えると、前の日から落ち着きませんでした。友達の携帯電話に「明日行くよ」メールを送っても反応何もなし。
バスに乗って、電車に乗って友達の病院へと行く間も、ずっと心臓が痛くなりました。病院の前、冷たい風に吹かれながら十分ぐらい時間をつぶし、意を決してエイヤッと中に入りました。
初めて会う友達のお母さんは「わざわざ忙しい中をホントもうホントもうもうありがとうございますもう」過剰にモウモウ私にお礼を言い続けていました。そして友達の病気が左側頭部に転移した事、そしてそこにできた腫瘍を五センチ×三センチほどのでっかいのを取ったため、記憶とかにちょっと障害が出ていて、ずっと私が来ないことを不思議がって何度も「まだこないのか」「アイツの具合が悪いのか」「お見舞いに行くから、本当のことを教えてくれ」と私を気遣ってばかりいるので、すぐに分からなくなってしまうかもしれないけど、一回私に会わせてあげたいと思ったとのことでした。

ここまではせつない半泣きの話で、私も目にじんわりと熱いものを感じていました。あんまりそれを気取られてもいけないと、心の中にある勇気を全部集め、インチキ元気玉を持って病室に入りました。
けっこう痩せた友達はキョトンとした顔で「おう、今日はどうしたの?」と普通に話を始め、十五分ぐらいは私がスズメの赤ちゃんを救おうと奮闘した話や、自分の尻尾に噛み付いて流血したチワワの話で笑ってくれました。ちょっと興味があったので、手術をしたところを見せてもらおうとすると、どうにも話がかみ合いません。全然手術をしたことを覚えていないようで、さりげなく私が手術の痕や感想を聞きだそうとしても全然反応がありません。髪の毛、ちょっと…とか言いながらそーっと触れた側頭部は、(たぶんガーゼとかが当たっているせいだとは分かっているのですが)ちょっと柔らかいような、ゾクッとする感触でした。
感情の制御があまり出来ないせいもあるとは思うのですが、訪れて三十分ぐらい経った時、友達が「あのさあ、鶴太郎には腹が立つよな!」とけっこう大きな声で怒り出しました。「鶴太郎だけは許せない」と、どんどん感情のボルテージが上がっていくようで、ダメだとは思ったのですが、せっかくの機会なので私も乗っかって「マッチです!の物まねのくせに!」「陶芸家みたいな和服で書道ですか!」「ボクシング!ボクシング!」そう結構な勢いで一緒に糾弾しました。
騒いだ声が大きかったのか、扉を隔て、三部屋ほど向こうにあるロビーに居た友達のお母さんが「大丈夫ですか!すみません!」と血相を変えて駆け込んで来たとき、私は椅子から立ち上がって、なぜか指を指すような格好で「あの魚の絵が十万円はたっかいよな!」とやっている瞬間で、たいそう気まずくなりました。
モゴモゴ赤くなりながら「あの、鶴太郎について話す事でなにかうまくいけば…」
そのままお母さんが病室に残られたので、それ以上変なことはせずにすみました。最初はさみしく、悲しい感じでしたが、なぜなのかはわかりませんが、鶴太郎に対する不満によってちょっと楽しい時間にも変えることができました。ありがとう鶴太郎。
友達に対するアドバイスとして、お前はメメントという映画みたいになっていくから、メモが大事だぞというメモを三ヶ所に書いてきました。博士の愛した数式という本みたいに、体中にメモを付けておく話をすると、「そうか、最近あんまりよく分からない事が多いし、ぼんやりして眠くなる」と怖いコメントばっかりを聞かされたので、せっかくなのでこのメモ作戦が役に立つといいなと思いました。行ったら行ったで、行く前に思っていたより普通に過ごす事ができてよい一日になりました。
友達のお母さんにいただいた「行者せんべい」というお菓子がとても美味しかったです(帰りの電車でムシャムシャ食べました)