社会派きどりの先生、ショックを受ける 

虐殺の丘

みなさんこんにちは。
私の語学力では、英語で書かれた文章を読むのにちょっと時間がかかるのですが、イギリスのサイトを暇つぶしでグルグル閲覧している時、“Sudan's horrors”という言葉を見つけ、「スーダンのお化けの話」か。アフリカのオバケって想像つかないな?と軽い気持ちでクリックしてみたら、ちょっと洒落にならないくらい深刻な話を発見しました。現実に起こったホラーです。
スーダンでは、日本人がなんにも知らないうちに大変なことになっています。
同じようにスーダンになにも関心がない人がこれを見て、今もスーダンでは戦争をしていると知ることができるようにと、先生も書いてみました。
これを読んで、深く知ったからといってどうなるのかがわかりません。ただ単に知識がちょっと増えるだけかもしれません。(ここを訪れてくださったかたは情報を求めていると思われるため、以下にあるリンク先などで情報を確認してください)
リンクを貼ります。http://www.msf.or.jp/news/news.php?id=2004041302&key=sudan

日本語でgoogle検索にかけてみたら、とてもまじめに記述・まとめてあるブログを発見しました。トラックバックもやってみます。グーグルの表示ランクを上げ、それによって注意を喚起するという方法論は面白いと感じます。
なんだかとってもいい人になった気分(揶揄ではありません)。自分の意見・思いこみなんかのことを考えてしまいました…面白方面にどうしても変換できません…悲惨だったり、つらかったりすることはなるべくからっと考えたい性質だけれど。



スーダンで行われている虐殺は、この記事を書いた時からずいぶん経ちますが、いまだに終わっていません。戦闘の状況は「まるでブラックホーク・ダウンのよう」と書かれている文章を見かけ、映画「ブラックホーク・ダウン」を鑑賞しましたが、民族紛争・アメリカの介入、絶望的なストーリー。夜泣きしてしまうように凄惨な映画でした。

アフリカで行われている悲惨な戦争について思いをはせる時、とても大きな無力感を覚えます。「そんな事を考えていても意味がないじゃないか」と。日本で暮らしていればまあ平穏に暮らすことはできるし、お腹が空いたら(比喩ではなく)お菓子を食べることができます。スーダンの事を知って論じたり、知人に真面目な顔で「なぁ、スーダンでは今も虐殺とレイプが行われていて…」と話すことが本当になにかの力になるのでしょうか。私の場合は外国のサイトで偶然に知り、グーグルで検索して知ったのですが、もし私が知人にスーダンの現状*1を教えたとしても、ただ「外国のレア情報を教えてもらった」ということにしかならないかという危惧です。

「そんな事を感じるのだったら実際にスーダンのために動けよ」という反論をされると、すべてが終わってしまうような気がしてなりません。しかし、多くの人間がこのことに触れてくれれば、すこしづつなにかが変わる可能性があるかもしれません。
このトピックについて自分の文章を書かれる場合、「難しい言葉を得意がって使わない」「日本のジャーナリズムついて語るのならば自分の言葉で」という点を留意して書いていただきたいのです。
同じようにトラックバックされている方たちの所に飛んでみたのですが、私にあまり知識がないせいか(へりくだっているのではなく実際に分かりませんでした。知らない言葉はGoogleで調べればいいのですが、調べてみてなんだ、このことかと思う言葉ばっかりでした)、とても難しかったのです。

ここには否定的な論調で書かれていると感じられるかもしれませんが、私はスーダンでの虐殺について「早く終わるように」と願っています。

陰謀だとか、メディア操作だとか、日本の政府対応だとか、色々書けることはあります。それに加え、自分はどう感じたのか、ひと言書き添えて欲しいのです。


極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/04/post_9.html

ジェノサイドの丘
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スーダン情勢についてのトラックバックを募集しているそうなので、トラックバックしました。
passionofthepresent.org – passionofthepresent.org


自分の言葉を。

*1:といってもほんのさわりしか知らないのですが