甘い誘い

病院のトイレでのできごとです。採尿をすることを想定したつくりになっている、ちょっと大きめのトイレの中、個室に親が入っていて、その外でちいさな娘さんが待っていました。娘さんは不安なのか、しきりに個室の中の親に話しかけています。カッコの中は、私が想像した親の心の叫びです。
「なぁ、なぁ、帰りにお菓子買ってくれるん?」
無邪気な問いかけに、個室の中でちょっと息をのみ、
「んん…分かったから。ちゃんと約束したからね(だからすこし黙ってくれよ…)」
「なぁ、なぁ、ここホットケーキの味がする…」
私は手を洗いながら、ぎょっとして娘さんを見ると、個室の真横で立ったままで、なにも食べてはいませんでした。しかし、個室の中からはそれがわかりません。低く抑えた叱責が飛びました(といってもすべて聞こえていましたが)
「な、なに?なに食べとんの?すぐに口から出しなさい!」
娘はキョトンとして、「え?なにも食べてないよ?」と答えました。
そこのトイレは何人かの糖尿病の患者さんが使ったからでしょうか。メープルシロップ*1のような匂いがほのかにしていました。娘さんは、それをたっぷりとかけた*2ホットケーキを想像したのでしょう。でもどうして「味がする」と言ったのでしょうか。もしかしたら鼻から吸い込んだ香りを、舌で感じ取ったのかもしれません。以前に、

最近、目がどうも痛いと不調を訴える子に、「目薬持っているから、コレ使いなよ」と私の鞄の中から目薬(サンテクール)を出してすすめると、
「それ、まずいから嫌だ」そう言って使うのを拒否されました。ちょっとした衝撃でした。

これと似たような理由かも。
親は、「なんにも食べたらアカンよ!それでその場所から動いてもアカンよ」と小さく絶叫し、切ないため息をついてから急いで個室から出てきました。
娘がなにも口にしていないのを確認して、トイレから出て行ったのですが、その後二時間ぐらい、私はずっとホットケーキのことを考えていました。

*1:http://d.hatena.ne.jp/peanuts/20050719#p1 これはさわやかで、とってもいい説明です

*2:メープルシロップのほうを