空転する言葉/smokey words
病院に入院してみて、そこの病棟では悲惨な事例が多くあり、それを見てきた者としては、知っている人間には呼吸器等をやられたら取り返しがつかないよ、煙草をやめるように一度は言っておかないと、絶対に後悔すると考えました*1。その勢いで「禁煙ファシズム発動(大事な人に押し付ける)」という文章を書きました。
文章がリンクされ、予想もしない数のEメール、はてなポイントの送信、mixiでのメッセージをいただきました。ありがとうございます。トラックバック元もすべて見させていただきました。
「禁煙ファシズム」という言葉について
失敗したと考えているのが、「禁煙ファシズム」という言葉を使ったことだと思います。私は、親しい友人に対してなんの反論も許さず強引に「やめろ」と煙草を断たせるという意味で、この言葉を使いましたが、どうもこの言葉に引っ張られ、私が「禁煙ファシズム」主義になって煙草撤廃に立ち上がったように誤解をされた方もおられました。違います。
この「禁煙ファシズム」という言葉については、mixi内にあるコミュニティ*2と、「犬にかぶらせろ」で取り上げられていたエントリーで本が出たことも知っていました。言葉は悪いかもしれませんが、ちょっと面白いなと思ったぐらいで、その時点では別段に好感も反感もなんにも感じませんでした。
私は「禁煙ファシズム」という言葉を、喫煙者に対して年々きつくあたる社会を揶揄(ふざけてからかう)してそう名付けたのだと思っていたのです。本気で圧迫されていると感じて使われた言葉とは思っていませんでした。その点から誤解をされた方もおられると思いますので、ここで訂正いたします。おかしみのある言葉と勘違いしていたら、本気*3の言葉だったのです。
人生には取り返しがつかないことがあります。それを踏まえて考えたことが、身近な人間に対して「煙草をやめるように強く言おう」という考えです。その気持ちは今もまったく変わりありません。取り返しがつかなくなる前に。病気になる可能性が何パーセントとか、私にとっては関係ありません。煙草を吸っていて良かったことなんかほとんどないし、それが原因で病気になったら*4後悔せずにいられないことを知っているから。
言葉の投げあい(終わりなし)
前回の文章も、今回の文章も自分の主張する意見を戦わせようと考えて書いているわけではありません。
コメントなどに書かれたURL、論文のファイル、リンク先を訪れました。いくつか根拠として提示された英語の文章を読みましたが、あんまり読んで意味のあるようなものはありませんでした。残念です。別段、画期的な治療法が書かれているわけでもなく、意味深い内容とは思えませんでした。
それを言ってしまったらおしまいというような感想だとは思いますが、
結論
ゴチャゴチャ理屈を言わないで、物事はもっとシンプルに考えたいと思います。
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- 煙草を吸っていたら体に良くないからやめたほうがいい(みんな知ってる)
- 下手すると死んでいく(実感した)
- やめてくれ
私が書いた文章をきっかけにして煙草をやめてくれた/やめようとしている/失敗したけれどやってみた人、そのように表明した文章を読むだけでなぜかうれしくなりました。みんなやめたほうがいいと思っているはずです。
また、煙草を吸いつづけている人でも、自分が死ぬかもと怯えたり、家族や大事な人が胸をつぶれるような思いをする*5可能性を理解した上で吸うというのならば、それは責任あるひとつの選択です。これはかつての自分の姿に対する反省です。もし、きちんと考えていたら、多少は「煙草をやめておけばよかった」と思わずに済んだかもしれません。
病気になるまでやめようとしてやめられなかった私は、そんな事になるなんて思わずにプカプカプカやっていました。
その時はのんきで、自分に肺があるなんて意識せずに生活していたんです。
これで、煙草について書くことはおしまいです。ネット上の議論を眺めたりするのを面白いと思った事もありましたが、リアルな生活で自分が関わった事に関してのものを見ると、ひとつもおもしろいとも感じられませんでした。いったいどこで、なにについての話を書いているんだろうと不思議に思うぐらいです。
体に悪いと思ったらやめればいいし、影響はほとんどないから大丈夫だと心から信じられればやめる必要はありません。