まちで暮らす/いなかで暮らす

いろいろな街で暮らしました。村と呼んだほうがぴったりくるような漁村、九州の先っぽの町、コンビナートの光がまたたく街、やたらと酒屋ばかりある街、モーニングセットが豪華な町、下町バリバリの街、呉服屋ばかりの狭い町屋。私にとって、二ヶ月ほど住めばそこはもう「なじみの街」感が出てきます。ニュースで自分の居た街が映るたびにもう大変です。画面の向こうのほうにおいしい洋食屋があってな……などとまったく使えない耳より情報が脳から発射です。
引越しというのは新しく一から始められてうれしい反面、さみしかったり憂鬱になったりもします。小さな子どものときは新しい店を発見・開拓する事に胸を躍らせましたが、年を重ねるごとに移動するのに抵抗感を感じ始めました。
子供の頃はとにかく図書館・動物と遊ぶ場所・探検できるところの三つがあれば満足で、都会でないほうがうれしかったものです。でも、年を追うごとに、それまで住んでいる場所より田舎に移ることが嫌になってきました。そして田舎に引っ越しても、「ここにはタワレコがない、ロフトがない、ミックスがない、クワトロもロゴスもない、貸しレコード、夏のお祭り、花火大会が小さい」などと、口に出しても意味のない、田舎にうんざりしたような言葉ばかりを吐いていたような気がします。工夫をせずに、文句ばっかり。頭をパーンとはたいてやりたいです。

あまりいい意味ではない「個性的だね」という言葉をよくもらいました。嫌な反面、どうであれ人とは違う個性があるんだからと肯定の気持ち半分。
土地土地にある程度の「個性を受け入れる」間口の広さというものの違いはあると思いますが、よくよく考えてみると、貫かねばならないほどの「個性」は私にはなかった気がします。うまく人に自分の考え方を伝えられなかった事を、「田舎の人たちはこれだから」と言い訳にしていた気がします。
街(都会)のが便利で、好きだけれども、自分がその時いる場所を憎みながら暮らすようにはなりたくないなと思いました。自分が住んでいる場所を「こんな場所ではやっていけないと思って」などと書かれている文章を目にして、ちょっと考えさせられました。そこで暮らしている人は、取り残されてその場所にいるわけでもないのに。
思えば遠くにきたものだ。