サッカーの贈り物/13がラッキーナンバー

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サッカーを好きな人に質問します。あなたは「マイチーム」を持っていますか?私はかなりサッカー好きな部類に入ると思うのですが、「マイチーム(絶対的に贔屓のチーム)」を持っていませんでした。チームの調子が悪くても、負け続けていても文句を言いながら観戦に出向くような対象。そんなチームがあれば、サッカー観戦の面白さがどれほど増したでしょうか。ずっとサッカーを観る醍醐味を味わっていないような気がして残念な心持ちでした。
私は高校生の時、三重県で生活していました。その当時、近い年齢の選手を多く擁したサッカーチームが全国大会で快進撃。それが四日市中央工業でした。その強さと攻撃性のインパクトは強烈でした。
甲子園や駅伝などで自分の地元を熱心に応援する人を横目で見て、地元というだけでどうしてそんなに入れ込んで観ることができるのだろうと不思議に思っていたのですが、その時だけはテレビを通じて、ただ「どんな形でもいいから勝ってくれ」と祈りにも似た感情を持って応援して、初めて「地元応援感」を堪能することができました。
その時に四日市中央工業にいた選手は小倉隆史中田一三中西永輔の四中工三羽ガラス、島岡健太。城監督率いる強いチームで、サイドから無謀なぐらいにガンガン上がったり、小倉のふてぶてしいまでのドリブル・キープにゲラゲラ笑いながら感心している内に決勝戦まで進出。今年引退するガンバ大阪の松波が所属していた帝京高校と両校優勝でした。あれほど次の試合を観るのが待ち遠しかったこともありません。四日市の駅や、高角のあたりをブラブラしている、同じ街の選手が大活躍しているという事に大興奮でした。私がサッカー好きになった直接のきっかけで、私はその後、三重を離れても、昔の友達の進路が気になるのと同じように、四中工の選手達のその後をチェックしていました。
「いっちゃん」こと中田一三くんが、最近になって三重県にサッカーチームを作ろうと新しい活動をはじめたことを目にしました。まず最初に思ったことは「大丈夫なんかな」という勝手な心配でした。でも、リスクも充分承知した上で、あえて踏み出したとの事。でも、あの頃の四中工に感じたワクワク感を再び味わえるのではないかと、期待感で胸が高鳴ります。

三重県には以前、松阪に「セントロ・フッチボル・デ・エドゥ(こんな感じの名称)」という、ジーコのお兄さんのエドゥーを冠にした、専門学校と一緒になったようなプロ志向チームがありましたが、明らかに採算がとれなかったようで、エドゥが日本代表に参加するのと同時にグダグダになって消滅してしまいました(天皇杯には一回か二回出場)。
それ以来、三重県には上を目指すサッカーチームがありませんでした。同じ年代の人間が上を目指して一歩づつ足を踏み出したのなら、これを応援して、乗っかりたいと思います。とにかく前途はとても長いけれど、諦めずに歩いてほしいと心から応援します。てっぺんを目指してほしい。



オグの最近の写真がありました。来年、どこでサッカーをやるんだろうか。どこでもいいから現役でやってほしい。
(リンク)中田 一三BLOG


生まれ育ったこの地域(三重)に、J1リーグで優勝するクラブ組織を創ること!」その夢を実現するために、新たな第一歩。伊賀市で若年層対象のサッカースクール。
(リンク)中田一三サッカースクール・伊賀市

(リンク)2ちゃんねる 三重県サッカーの状況スレ
KMEW伊賀FCがんばれ。