ゆるみ

冷え込んだ真夜中、携帯電話の着信音が鳴り響きました。ぼんやりと「悪い知らせじゃなかったらいいな」と思いながらディスプレイを見ると、親しい友だちの名前が表示されており、ひとまず安心しました。
電話に出て、「どうしたん…こんな遅くに」そう怒り気味に話しかけたのですが、言葉がすぐには帰ってこず、「……………モウ…………アカン…………」
まさに消えてしまいそうな小さな声で、絞り出すように言葉を発していました。普段、無神経な友だちが見せた剥き出しの弱々しさに「どうしたん?」と心配になって声をかけました。
「さよならかもしれへん……僕が死んだら、車をお父さんに返しといてな、それとごめんなさいと。もう夜中でお父さん達は寝とるからかけられへんけど、愛してるって」
コントの台詞みたいだけど、本気でそう言っているのが伝わりました。彼は実家にあったお父さんの外車を、帰省したついでに無断で借りたことで親と大喧嘩したのです。もし死ぬ前に謝りたいんだったら、真夜中でも電話したほうがいいですよね……
そうは言わず、まあ落ち着いてなにがあったか話しなさいと促すと、

  • 内蔵が腐った
  • さっき、トイレで内蔵をひとつ(肝臓とか腎臓)を出して、流してしまった
  • おしりのあたりに、ずっと変な感じがある

それだけ答えると、電話の向こうで鼻をすする音が聞こえました。
内蔵が腐って、トイレで落ちてしまうという話は普通じゃありません。アフリカの方で流行していたエボラ出血熱という伝染病ぐらいです。
もう一度確認しながら話すように促すと、以下のことが分かりました。

  • 熱はない
  • お腹はあまり痛くない
  • 内蔵を落とした
  • かなしい
  • おしりに違和感

あまり緊急性はなさそうです。深夜に名古屋で救急外来を開けている病院を検索し、我慢ができない時は行くようにと指示しました。
その直後「うわぁあ、ぶよ‥‥」と絶叫する声が聞こえ、通話が終了となり、私は胸をえぐられるかと思うほど驚きました。すぐにかけ返しても留守番センターに飛ばされます。ぶよ!?
このまま朝までは心配でとても待ち切れないので、パジャマを脱ぎ、友を救うために冬の夜道に車を走らせる準備を急ピッチで始めました。顔や髪はそのままで、とりあえず暖かくだけして……
さあ車に行こうとしたタイミングで、私の携帯が震え、メールを受信中です。
絶叫した彼からのメールで、件名、本文共になし。真っ暗な写真が二枚添付されていますが、ぼんやりとした丸いものの輪郭しかありません。
どうもよく分からないなと思っていると、着信があり、
「勇気を出して、おしりを見たら、肝臓が落ちかけてたので写メールで撮った」
とのことでした。あまりはっきり見えなかったのが不幸中の幸い*1ですが、自分の肛門付近を激写してくれたのです。付き合っているわけでもない人のおしりを見せられてもうれしくないよ。ほのかに丸みを帯びたものが見えるけれど。
私はこの辺りでピンと来て、脱肛か痔ろう*2だと思いました。それで病院に行かないまでも、救急外来のある病院か電話相談のできる場所に電話するようにと言い、専門家に委ねたらよいと、安心して眠りました。

翌日の夜、彼から「昨日はありがとう、助かったよ」との電話があり、彼の肛門がおかしくなっていたとの報告がありました。
彼は最近のブームとして、「ウンチとの戦い」という、極限まで便意を我慢する、子どもでも体に良くないと分かる戦いに励んでいたそうです。
普通の大人が諦めて出してしまう限界をはるかに超えるがんばりをみせたため、肛門近くの筋肉が、何度も引っ張ったり弛めたりを繰り返した結果、疲れきって弛んだそうです。そうして内臓が外にこんにちは。
翌日に病院で診察してもらう時に、めちゃくちゃまわりくどくソフトに「異物を使用しましたか」と質問され、意味がわからず「は?」「は?」と何度も聞き返してかなり雰囲気が悪かったようです。最終的には、すこし前に付き合った人に、愛の証としてかなりの回数、いろいろといじられたことを告白し(ずっと聞いた後で、先生は「そこまで話さなくてもいいです、関係はないでしょうね」と冷たかったそうです)。
外に飛び出した内臓を内蔵して、さわやかに彼は今日も暮らしています。「趣味や勝負としてのガマンはあかんってみんなにも教えたい。ある意味僕も経験者だよ」戦地から帰り、なにかを伝えたいと願う兵士のような言葉を買って、私は微妙に長い文章を綴りました。私と彼との会話で、笑いが一切生まれていませんでした。お互いハタ迷惑だねと大きなため息ふたつです。


結論
「ガマン、アカン」 それだけか……

*1:でもまあ不幸

*2:いわゆる「ぢ」