器用に感動/駅伝/京都/みかん

朝からとても冷え込んだ日、私はあまり親しくない人の家、やけに天井の高い日本家屋の居間でちんまり「どうして私はこんなところに」と考えながら、背中を丸めてコタツに入っていました。目の前には食べ終えたみかんの皮が六個分。

その日は日曜で、正午から集まる予定がありました。開催される会場には駐車場が数台分しかないため、住居がある地方でまとめ、何人かで一台の車に乗り合わせて向かうことに調整されていました。しかし、連絡の不備により*1、かなり予定より開場の時間が繰りさがっているのを私は知りませんでした。
それを知ったのが、乗り合わせる相手の自宅に到着してから。お互いに「ちょっと気まずいな」と感じながらも「まあゆっくりとしてください」「いやいやご迷惑で」などと、ニャーニャーと言葉を交わしながらも、私はその家まで、違う友人の車で送ってもらい降ろしてもらった後で、時間をつぶすにも、その家周辺には田んぼとレンコン畑しか見当たりませんでした。(失礼な話ですが)気が進みませんがならば中でちょっと待たせて貰おうと、居間に通してもらいました。
「これつまらないものですが(なごやんという和菓子を渡し)」「ありがとう。好きなんです、なごやか(名前間違えてる)」「寒いですね」「はい」「細いですね」「脱ぐと意外とムキムキしています(冗談)」「そうですか(クスリとも反応せず)」「みかん食べますか」「はい」「みかん食べますか」「はい」「みかん食べますか」「はい」「お茶のみますか」「ありがとうございます」
会った瞬間から、あまり性格が合わないだろうなと感じていたこともあり(私を玄関に出迎えてくれた時、鮮やかな黄色いジャージと大きめのサングラスで金髪「コンチワ!久しぶり」と挨拶され、戸惑う私(※私たちは初対面))会話が弾まないことこの上ありません。
結構私も頑張ってみたものの、「このみかんはおいしい」「有田です。よかったらもっとどうぞ」という会話が主力では、三十分が限界です。とても寒い上、みかん腹になってタプンタプンしてきました。これ以上のみかんは爆弾を懐に溜め込むのと一緒です。もうみかんは禁止。
これは私だけ、向こうだけが悪いんじゃなく、組み合わせみたいなものがうまく行かないのかなと感じました。共通の知人がいて、その人を通じてお互いの存在をなんとなく知ってはいるのですが、会話のキャッチボールがうまくゆきません。
自然と、だんまりを決め込んでコタツで丸くなる大人が二人。
家主が「あの……」おずおずと言葉を発し、「もしよかったら、テレビでもつけましょうか」という申し出をしてくれたとき、私は救われた気持ちになりました。
テレビってのは本当に素晴らしいものです。二人でテレビを見ているだけで間が持ちます。ビバ、テレビ。しかしテレビに対する感謝の念を抱けたのもテレビのスイッチを入れてから五分ぐらいの間でした……

平穏な時間はすぐに終りを告げました。テレビで駅伝が始まってしまったのです。
私たちの間に生まれそうだった、やわらかな空気を切り裂くような言葉が家主の口から発せられました。

  • 駅伝なんか喜ぶのは日本人ぐらい
  • 世界では認められない
  • 地元というだけで応援するのはおかしい
  • 一流選手は参加しない
  • ただ走るだけが楽しいのか
  • この子かわいいよいいよ

いっそチャンネルを替えたらいいのに……そんなに駅伝を責めるなよと、私は駅伝側の人間ではないのですが、弁護したくなりました。
「まあまあ、一生懸命に頑張ってるんだから、他の番組にします?」
私はさりげなく、他の番組に誘導したつもりでした。しかし家主は涼しい顔で無視……さわやかに駅伝と企業の野望について批判中でした。
とにもかくにも、社会の仕組みなど、既存のものすべてが嫌いな、かなりパンク*2な人です。
しかし、文句を言いながらも結構真剣に二人して画面を見入っています。
(文句ばっかり言うのに好きなんじゃん)と思いつつ、「結構熱心に見ていますね」私がそうちゃちゃを入れると「あぁ、レースじゃなくて町を見てるんよ」
それまで全く気にしていなかった駅伝コースを確認してみると、京都を走っていました。
(うろ覚えですが)京極という商店街から北区方面へに向けて北上、ある程度行ったら右折して左京区方面、御所を過ぎ、百万遍あたりまで向かうコースのようでした。
「昔、京都のこのあたりにいたことあるんですよね」と私が話すと、家主の目がキラーン!と光りました。
「そうですかそうですか」急にニコニコしだして、「あ、お菓子あったナ!持ってくるわ!」明らかに話し方が30%フランクになり、バームクーヘンを持ってきてくれました。
家主は京極に昔あったおいでやすというお店について熱く語り、駅伝の選手たちが駆け抜ける道を見ながら
「あ、ここ曲がるとラーメン屋」
「この先、よく事故があるドン詰まり(その先に進めない道路)」
「あ、ここのガソリンスタンド安いよな」
「右側、古い卓球場な!」「行ったことある!」
「御所でおじちゃん達がよく早朝野球してたよ」「いつの話?」
「京大でギンナンを拾ってる内に鼻血がでてねえ」
「サンドイッチの焼いたやつを、ここで初めて食べた」
「この古い病院の建物、まだそのままかよ!」
「こっちの先に、安い麻雀屋がいくつかあるよ」
画面を見ながら、お互いに知っている場所の答え合わせと、ちょっとした思い出話。
二人の間にあった気まずさ、遠慮がなくなりました。
駅伝やマラソンが住んでいる町で開催されるとき、私は道が封鎖されて渋滞になるので迷惑にすら思っていました。
そして、レース自体にもまったく興味がなかったのですが、まったく無名のランニングファンや部活動をしている女の子たちが、頬を真っ赤にして疾走していました。
かっこいい。家主も毒づくのを完全にやめて、応援モードです。折り返し点のところで「ああ、もうちょっと先まで行けばいいのに…」と残念そうです。
「あの先に、初めて付き合った人の部屋があったんや…」恋する少女みたいな顔*3で囁くように言いました。
私は重い告白をされても気まずいなと「これはデッドヒートです」と白々しく話題チェンジを試みました。
家主はつらい記憶でもあるのか、なぜかへの字口になっていました。私は見なかったふり。
もうそろそろ出かける時間となり、家主のパートナーがやって来て、「どうしたのあんたそんな顔で」「あらあら初めまして」そう簡単に挨拶。
家主の頭を優しくポンポンと叩き、出かける準備をするように促していました。
ワンボックスカーの中に家主とパートナー、後部座席に私と後で合流したしょうちゃん。
会話もなく、車載テレビでは次々にゴールしてゆくランナーたち。
その日に初めて気がついたのですが、タスキを交換するランナーがまさに渡そうとする時、ほぼすべてのランナーが一瞬見つめ合って本当にいい表情で笑い合います。作意のまったくない笑いをたくさん見られるだけでも、駅伝最高。
家主は運転しながら感極まって泣いていました。
生まれて初めて「駅伝っていいな」と思いました。

この日の教訓

  • 予定変更は連絡が行き届いたか確認
  • 会話がはずまない空間で長時間過ごす能力をつける
  • 駅伝おもしろいよ

*1:私のパソコンのメールにそのお知らせは届いてたのですが、チェックせず

*2:広い意味で

*3:ちょっとだけ気持ち悪い