夏がきたことを実感する時

予想以上にたくさんの方に答えていただきました。ありがとうございます。「いつ、夏が来たことを実感するか」ということを考え、人がそれを感じるポイントについて質問したところ、多くの人が子どものときに感じた鮮やかなイメージを回答されました。子どもだった時代からかなりの時間がたっても、夏のイメージは子どものときのまま。祖父母と同居していたり、いなかったりする人もおられるかもしれませんが、私と同じように遠くはなれて暮らしていて、たまにしか会えない関係だった場合、夏=旅行=じいちゃんばあちゃんという記憶の方も多いと思われます。逆に、待つ立場で暮らしていた人のことを今は考えるようになりました。待つ立場だった人の話も聞いてみたいです。

色が薄いところに書かれた文章は、その最後にある名前の方が書いてくださったものです。マウスカーソルをあわせて色が変わったら、その名前のサイトに行けますので、興味をもたれた記述の方のサイトを訪れてみてください。八割がた良い人のサイトですので安心です。

子どもの時、夏休みになり、友達が一人旅をした武勇伝を何度も聞かされ、私もやってみたいと粘り強く(しつこく)交渉した結果、、おじいさんおばあさんの住む田舎にひとりで行くことが出来るようにになりました。

新幹線、電車、バスを乗り継ぎ、汚い字で書かれたメモ帖と、読めもしない電車の全国版の時刻表(かなり重いがイザというときに役立ちそうなので)を、近所のもう名前も忘れたお姉さんが家庭の授業で作って、いらないからとくれたズダ袋に放り込み、その紐を肩に食い込ませ内出血の痕をつけながら緊張して、右手には東鳩オールレーズン、左手にはなかなか溶けないので飲めない上、溶けてきたときには薄くなっているスポーツドリンクを握り締め、句読点がうまくつけられないぐらいに緊張して移動していました。

必要以上にスリを警戒して、なにかというと財布の位置を確認。汗もかいていないのにもし電車の中でお腹が痛くなったらと考える恐怖のためにタオルをお腹に巻き(もちろん暑すぎる)、おばあちゃんの家の電話番号を何度も何度も暗唱し、それはできるのにおばあちゃんの家の住所はどうして何回もつっかえてしまうのかと自分に腹を立てながら、背中に背負ったものを地面に下ろしては負けだという自分ルールを厳しく守ってがんばっていました(そういう内向きの勝負を何度も繰り返していました)。

五時間の旅の途中で何度もウツラウツラ(早朝五時から緊張で起きていたので)しながらも、一時間に一本しか出ていないおばあちゃんの家に向かうクリーム色に緑のバス(何度も特徴を叩き込まれたため、いまでも鮮明に思い出すことが出来ます)に乗って、指定されたように左側一番前に座り、二十分ほど走ると、田んぼばかりの長い道の遠くのほうに、すこしだけ見覚えがある景色が近づき、ちいさな人影がゆらゆらと見えてきました。

やせほせのおじいさんが、道の真ん中でバスの中を覗き込んでいるので、バスの運転手がなにか聞き取れない嫌な言葉を口にして、びっくりするぐらいの大きな音でホーンを鳴らしました。私もびっくりしましたが、我に帰り「ここで降ります」と伝え、じいちゃんですというと、運転手は我にかえったように穏やかな顔に戻り、バスを止め、バスの降り口まで私を確認しに来たおじいちゃんが「どうもありがとうございました」と伝えると「この子はおとなしく乗っていましたよ」と口先の言葉を吐いて私を驚かせました。

おじいちゃんは私の荷物を持ってくれ、すぐそばの家に行こうとスタスタと早足で歩いていってしまい、家の玄関でこっちを見ていたおばあちゃんに置き去りにしてあんたはあかんなぁと苦笑しながら叱責されていました。家に上がるとカキ氷を作ってくれ、にこにこしながら私がどうやってここまで来たかという話を聞いてくれ、朝からずーっとおじいちゃんがバス停のほうに私が来るわけない時間なのを分かっているのにソワソワしてなんども出たり入ったりしていたと教えてくれ、おじいちゃんはちょっと用事があったからだと言い訳をしていました。

あまい玉子焼き(ケチャップたっぷり)、サトイモのあまい煮物、昔に一度私が「これおいしいな」と言った物を過剰に作ってくれていました。その時は分からなかったけれど、私の到着をそわそわしながらずっと待ってくれていた祖父母、私が帰っていこうとするとき「またおいでよ」といいながら、本当に見えなくなるまで遠くで手を振ってくれていた祖父母のことを思い出しました。ただ、会いにゆくだけであんなに心からうれしそうな様子を表現してもらったことはなかったような気がします。

これは子供の頃のちょっといい話を思い出しているのではなくて、今感じているのは、あんなに大事に感じ、接してくれた相手になんにもしなかったなぁという痛みでした。子どもの頃は別段、それが特別だとか、やさしいだとか考えずにいたのですが、大人になってだんだん分かって、自分はそんな風に、素直に誰かに気持ちを表現して接することが出来るのかというなんともいえない気持ちになったことを、ちょっといい話にならないように気をつけながらかなりがんばった速いスピードのタイプで十五分かけて書いてみました。そんな祖父母はもう死んでしまっていません。両方ダイ。

お盆で親戚が「帰ってくる側」になったことはあまりないので、すこしうらやましいような気もしますが、人が訪ねてきて、そして帰ってしまうときに感じる、自分だけこっちの世界に置き去りにされるようなせつない感じはあるのでしょうか?

お盆なので、うちは本家なので、帰省客をもてなします。いろんな人が帰ってきて、あわただしく掃除をしている時いちばん夏を感じます。  id:gran


アスファルトの匂いの人気度には驚きました。それを感じる人間はかなり少数派なのではないか?といういままでの思い込みを気持ちよく破壊された気分です。

夕立にぬれるアスファルトの匂いに一票 id:sasapong

薄めて飲むカルピスは確かに夏そのもの・・・

エアコンきかせてタオルケット(もしくはおふとん)にくるまっているとき。カルピスをつくって飲んでいるとき。夕立のあとのコンクリートと土におい。暑くて汗をかいて目覚めて、外から蝉の鳴き声が聞こえたとき。お風呂上りにボディクリームをぬらなくても乾燥しなくなったとき(乾燥肌なので)


たしかにドアは開かれていました。網戸の変形みたいなやつがはめてあったり、中に犬が寝転んでいたりしていました。窓も、よしずの間からちょっとだけ中が見えている家も多かった。すでにとても昔の生活のように感じられます。

私にとって「あー夏だなぁ」と思える出来事は何だろうと考えてみたところ、それは家の玄関ドアだろうなと思う。都会の方や、物騒な所に住んでいる方、または、お金持ちの方にはわからないと思いますが、私を含めここら辺の人たちは暑くなると玄関のドアを全開にして放っておきます。それで窓も開ければ風の通り道の出来上がり。自分は寒がりなので中々開けることがないのですが、ここ最近は全開に開放しています。七月に入ると暑がりな子どもを持つ家などが開放していきます。それを歩きながら見たりして、中でそうめん食べているの見たりして、「あー夏だなぁ」と思うのです。そして自分も開放している今、完全にあー夏。


子どもの時感じていたのは、学校休める、プール面白い、遊ぶ、宿題、旅行、学校の動物の餌やりと掃除当番。

空気の変化で夏が来たことを実感します。温度、湿度、匂い、風。それらが夏のものになるのです。長い梅雨が明けたとたん、蝉がいっせいに鳴き始めました。今年はそのときに「夏が来た」と思いました。
これから何しようかな。実はこれがいちばん、夏を感じる瞬間かもしれません。子どものころの夏休みの記憶がよみがえります。
やっぱりね、大人になると感覚が鈍ってくるのだと思います。一年中、空調の効いた部屋にいて、プールにも入らなくなるし、虫取りだってしなくなる。
でも、子供は夏が来たことを、心で感じることはまだできないんじゃないかなと、ふと思いました。つまり、季節を感じるようになるためには「経験」が必要なのではないかと。いくつもの夏を経験し、ある夏突然、夏が来たことを感じるようになるのです。季節は同じことの繰り返しのようですが、それでも毎シーズン、季節を感じるとドキドキします。少なくとも、21歳の夏はそうでした。

朝の蝉はたまに狂気を感じさせてくれますよね。もしかしたら、蝉の声をきっかけに発狂、凄惨な事件が発生することもあるかもと思います。同様に、夜の十二時ぐらいに昼夜逆転生活の弊害か、唐突に鳴き始める蝉の声を聞きながら、「近所の人よさあ行け、悪いことは言わないからあの鳴き声をとめて!」「神様蝉を止めて、このまま過ごさせてずっと、ずっと*1」などと……
住む場所によって、鳴いている蝉の声が全然違うということは、引越しをあまりしていない人は知らないかも。ツクツクホーシとヒグラシは場所によってはまったく見かけません。

夜更かしをして本を読んでいたときのこと。「そろそろ日の出の時間だな」と思っていたら、家の後ろにある林からジーワ、ジーワと静かな蝉の声が聞こえてきました。そのとき、不思議と「ああ、なんか…夏だな…」と思いました。


そんな血にまみれた夏は願い下げだ

道路で車に轢かれたカエルの血のにおいをかぐと、ああ、夏だなあと思う

釣りバカ・・・・・・年に一度のカーニバル。そろそろ誰かが死んでしまって終わるんじゃないかという心配が解消されません。動きがちょっとゆっくりになってきたし。コミケもここ十年ぐらいの歴史。G1男、黒蝶野も親日もテンションが下がってきたし、これからの十年ですべてなくなってしまいそうではかないですね。

コミケ 釣りバカ G1クライマックス」 id:FUKAMACHI

今年の夏は、梅雨が明けたという感じが、わざとらしいぐらいに鮮やかでした。長毛種の犬が苦しげに舌を出してぐったりしているのも夏の景色ですね。今年の夏も暑くなってきましたが、ゆったりとペチュまるさんとお過ごしください。いつも、見ていて気持ちがやわらかくなる写真をありがとうございます。

子供の頃は夏休みがあったので夏を実感しやすかったかも。プールの底に透ける縞模様の光や元気良く伸びる雑草のニオイ、宿題で観察するアサガオなんかが夏のイメージでした。
大人になってからは、海もプールも殆ど行かなくなりました。セミの声ともくもく雲。今年は梅雨が長かったですが、空気の湿り気が一気に減って風のにおいが変ったので、夏だなーと思いました。 id:nyakki_fp27


少年のような心……いいように解釈していいんですよね。くわがたがなにかの隠喩でないことを祈りながら…

くわがたを採りに行きたい衝動にかられた時  id:throwS


言葉に出してうまく説明できないのですが、そのにおい、わかります。あなたは同志です。

焼けたアスファルトに夕立がしみこんだ時に漂うあの独特の蒸したにおい、ではどうでしょうか。 0020

雨が降る前の、湿った鉄っぽいような、雨予告フレーバーを感じている人がここにもいて、うれしいです!

私も夕立がくるまえに一瞬匂うあの香りに夏を感じまくりでっす! id:mistycoralblue


おめでたくて好きです。かわいらしい要素が皆無なのに、とてもいい感じです。激突する可能性を考えると、宇宙の大きさに気が遠くなる感じですね。

夕方、頭にカナブンが激突してきた時です。 id:ayakomiyamoto


それは健康になった/体質が改善されたということ。良化です。産毛が夏を感じるポイントも気がかり。

私は夏が来た感じがすると、喉と心臓が苦しくなり貧血などではないですが後ろに倒れたい気分になるので、それが夏の合図だと思ってたけど、2年くらい前からあまりその症状が起こらなくなりました。夏を実感する能力の低下… id:b_t_b


ここではない、どこか。モナ・シンプソンかグレイかと連想するいい言葉ですね。漂泊の思いやまず、どこかに消えてしまいたいですね。

ベタですが、強い日差しと青い空、暑いから室内にこもりたいと思いながらも「どこか遠くに行きたいなぁ」とぼんやり思うあの感覚で、夏が来たんだなぁと感じます。そう認識すると、周りの景色すべてが夏に見えてくるから不思議だなぁ id:m-a-k-i


年齢を重ねるたびに、異常とも思える熱心さで天気のことを話題にする人たちがいます。若い頃は、天気について話している人に対し、どうでもいい事についてばかり話すんだなと冷ややかに思っていました。しかし、年を取り、家庭菜園や、ウォーキングをするようになってから、生活の中に天候が関係して、天気予報を全然気にしない生活よりも、ほんの少しだけですが豊かというか、色づいているように感じました。いい天気で喜んだり、雨で気温が下がって毎日に変化があることは面白い。
でも、天気がどうなるかだけの話はやっぱり面白くないかも。毎日、天候のこぼれ話を聞かされても困るし・・・

管理人のおばちゃんとは、毎日ぜったいに天気の話をするのでそのおばちゃんが「夏ももうすぐね」と言ってきたときです。 id:asobi Weekly Teinou 蜂 Woman


桃のみずみずしい、いいイメージはよく分かります。桃や梨は、私はだいたい旬の季節にしか食べないので、確かに夏っぽいと再確認しました。いつか、皮ごと食べられる果汁がたくさんの高級桃を手に入れたい。

桃にさわった手でほっぺたにさわってみて「チクチクする」と思った時とか id:strangefruits


私は、カキーンという音が聞こえるのもありだなと思ったのですが、いつも練習で音がしていたグラウンドから、夏の大会が終わって休みが増えたのか、いつもいるはずのグラウンドにだれもいない景色、やわらかい黒い土ではなく、固い白い砂混じりのブルペンを思い出しました。
夏休みの午前中、アニメの再放送の合間。床にぐったりしながら教育テレビで見るでもなく眺めているうといつのまにかニュースに変わっていたりしましたね。

高校の野球部の練習の球を打つカキーーーン!という音が高く響くのが聞こえだすと夏です
id:shimafukuro


夏の光は白く透明な感じがします。ほかの季節のものとは明らかに違う色ですね。

夏の日差しでなんか部屋が明るいとき。 id:testin


水が蒸発系がやはり多いのか。

アスファルト打ち水したらゆらゆらと湯気が立ち真夏を感じました id:aoironigo

昔の鹿児島での夏は、はっさくですか。最近では従来種の柑橘類は結構値段も上がっているのですが、久しぶりに食べてみたくなりました。猫がカブトムシを食べるのいいですね。私はまだ実際に食べたことはないのですが、たぶんまずいチョコレートみたいな味がすると思います。バリバリか。香ばしそう。

鹿児島の実家にいた頃、もう20年前の話ですが、夏といえば蝉の声でした。プールは夏ではありません。なぜなら鹿児島の学校では梅雨入り前に水泳の授業が始まってしまうからです。夏の食べ物と言えば八朔ですか。家の電灯目がけてカブトムシが飛んできて、それを猫が捕ってバリバリ食べてしまうのも、夏の風物詩でした。嗅覚で感じる夏は、ずばり蚊取り線香でした。
東京に出て来てからは、蝉も蚊もいたりいなかったりだし、カブトムシは完全にいないし、八朔も食べなくなってしまった。ここ10年ほどは「激しい夕立ち」が東京の夏だという気がしています。ヒートアイランドのせいと思われる、とんでもなく激しい雨と雷のやつ。新兵器と間違えるぐらいのやつ。急に降られて雨宿りに飛び込んだ先での思い出もありました。夕立ちみたいにすぐ上がってしまいましたが。
今年は、まだ夕立ちに降られてないから、夏は始まっておりません。


タオルケットにくるまれた、ちちくさい赤ちゃんいいですね。

ちいさな子どもがシッカロールで首の周りを白くさらさらとさせていた時、ああ夏かと。
リツ


においに言及がまたいてうれしいです。確かにプールのあとは疲れもあり、肌もさらさらとしてひたすら眠かった…。手をつないだときのじんわりとした汗、恋か。それは恋なのか。水着の披露を心待ちにしています。

夏はにおいだなーとおもう。
夕立のときのコンクリートのにおいとか青い草のにおいとかそういうの。プールのあとの授業のだるさだとか、授業中昼寝したときの背中の熱さとか、手をつないだときにじんわりかく汗とか
ああそういうのを感じたい。

夏の訪れを教えてくれる、ちっちゃいおっさんいいですね。臭いおっさん。たまに隙間から出てきて、運転技術とその土地の運転マナーに「一般論として」小言を言ってくれそうで素敵です。バックミラーにかかっているお守りがを見て、「アンタなんね、偶像崇拝か、神頼みか?え?」それだけ言って引っ込んだりするような。

自分の車を買って3回目の夏。
買った年の夏からそうなんだけど、クーラーの吹き出し口から異様なにおいがする。なんというか、汗臭いという表現が一番しっくりくるんではないかと思う。
同じ車に乗っているショオコたんのも同じにおいがするらしく、彼女の表現を借りるならば

汗をかいたちっちゃいおっさんが中に一人いる感じ。

だそうな。まあ、そんな感じ。その臭いがクーラーの吹き出しからし始めると、わたしは夏が来たと実感するのであります。


ためらいなく抜いてください。すぐに。

自分のわきげが伸びていることに気づいたら
より


子供の頃は、駄菓子屋で今では甘ったるくて飲めないであろう、果汁0%〜3%程度の体に悪そうなジュースをグビグビ飲んでいました。わくわく感と、自分の体からする汗のにおいがマッチして、えもいわれないテイストで良さそう。

外で遊んで、学校のプール行って、疲れたら駄菓子屋で涼んで、お菓子食べたらまた遊んで。そんな一日中遊びっぱなしの毎日が明日から始まる!というわくわくが詰まった終業式が、当時一番強く夏を実感したときでした。
近所の小学校からプールのカルキ臭が漂ってくるとそんなことを思い出して、夏が来たんだなーと実感します。起きたときに体からすごい汗の臭いがすると、本格的に夏なんだな!とキレ気味に実感します。

ちょっとひとでなしな事をしてしまうのも夏の特徴かも。

27時:2時間予約したエアコンが切れ、起きる←夏が来たことを実感!!!
27時、私はやっと夏を実感した。エアコンが切れて「暑いな、夏だな」と。

今では毎日強制参加ではなくなったというラジオ体操。うらやましいような気がする怠惰な大人になりました。汗っかきとワキガの境界線がいまだに分かりません。メチャメチャ遠まわしにワキガだと伝えたいとき、汗っかきだから・・・と言う?

子供の頃はラジオ体操とそれに行く前に通るわき道に生い茂っていた草木の匂い。大人になってからは汗っかきの人の体臭がきつくなった時。
kasumi


北の町、台所の床に転がる子ども(台所は板間なのでしょう)、短い夏。行ったことない場所なのに、短い言葉でそこに行ったかのように感じられます。あっさりと秋になって学校が始まり、夏休みが終わってしまう。他の地域よりも夏休みが本当に短い場所も多いですよね。

夏が来たとき
青森というところは夏が短い。北海道ほどではないにしろ。夏が来ると裏の窓と表の窓を開ける。そうすると涼しい風がカーテンを揺らして家の中を通り抜けていく。
台所の床に転がって昼寝をする。自転車で近所のプールに行く。ロッカーに入れて返ってきた100円で帰りにラムネを飲む。
日に焼けると真っ赤になる細い手足。今日は過ごしやすくて良いねえとか言っているうちにすぐに秋がくる。
シバタさん
シバタ

重く白い雲、空、蝉の声、スイカ蚊取り線香、ほんとうにきれいな夏のイメージ。でも、ノウゼンカズラはきれいな花だけれど、咲き終わったときに木の下にボトボトと落ちる花びらが、元がきれいで派手な花だけに、なんだか死んだ動物のようで寂しさを感じます。

積乱雲を見たとき・セミの声を聞いたとき・すいか食べたとき・蚊取り線香の匂い嗅いだとき・ノウゼンカズラの花見たとき・夜中の蚊音を聞いたとき id:KaKa


どっから出るのか・・・ 

女の子としているときに、汗と甘いにおいが混ざったモワっとしたらのが出たら夏
dashed


ぬるい空気の夜に、そんなに面白くもないのに一晩中うろうろしていた時。そんな時間をもう忘れてしまいました。背中にできるニキビが「これはニキビか、ニキビといってもよい年齢なのか」と悩むまでの微妙な期間、いいですね。なんにも起こらないのに、なにかいいこと起こりそうな夜。

夜遊びでオールした時の、夜明けの早さ。背中にニキビができ始めた時。両方ともガッカリしながら、「あぁ、夏がやってきた」と思う。 PYRO


スズメバチの体に着色された、えぐくて目にしみるような黄色と黒の鮮やかさが大好きです。しかしながら、刺されてショック死してしまう人もいるので、またやつらが巣を作っても、本当に慎重に勝負してくださいね。

暑うございます。スズメバチがうちで巣を作りました。早急に駆除しましたが、奴らの勢力にミッドサマーを感じました。 id:hetareusa

昼間の行水、お盆、鱧、見た目よりは涼しくないけれど、目にすると毎年行きたいなと思う川床、毎年その繰り返しなのに、毎年懐かしいような微妙な気分になって、なにかそそのかされてしまう・・・

日中の行水で頭に水をかぶるとき。陽射しと反射で視界が白っぽいとき。海がにおうとき。お盆休みはいつからいつまでですか?と聞き始めるとき。船幽霊のはなしがでるとき。シェパードがアスファルトの上でアツアツ足踏みするとき。店先でスイカの香りをかいだとき。大量の水をのどつまりせずに飲めるとき。透明っぽいアクセを選ぶとき。製氷皿を洗うとき。鮎を蓼酢で食べたくなるとき。鱧の落しが食べたくなるとき。鰻が食べたくなるとき。焼肉。川床。だめだめ、いつのまにか実感じゃなくて連想になってしまうーう。そう忘れかけた記憶。

まず、どうして私が「夏が来たと実感したこと」について説明します。
(link)空中キャンプさんのエントリーを読み、そんなことない、鮮やかな若々しい感性で「夏が来たとシンプルに感じ取っているよ」と思ったのですが、自分の夏を考えてみると、なんともいえずさびしい感じしかありませんでした。それで、夏の到来はしっかりと感じるものの、大人だからこんな感じの侘しさもありますよね?という、なんともいえない同志がいるかと打診するような考えで問いかけました。
しかし、みずみずしいイメージのもの*2が集まったので、すこし負けた気分になりました。みなさん、きれいすぎて眩しい・・・・・・。
教えていただいたものを並べると同時に、自分が感じたことを書きます。回答してくださったかた、ほんとうにありがとうございました。書かれたものを読んでいるうちに、心がさわやかに浄化されてゆきました。それで、私が書いたブルーな文章は一番最後に置きました。あんまりにもわびしかったので。

※追記 トラックバックを一斉に送信してしまいました。ご迷惑の場合はためらいなく削除してください。

飼っていた犬が、土をひたすら掘り始めると夏*3
水難事故のニュースが一斉に報じられるとき
熱されたコンクリートアスファルトが夕立に濡れるいいにおい*4がする時
azakeri

台所で夕飯の用意をしていたら、こもったような、空の段ボールを何かで叩くような「ポン、ポン」という音が聞こえてきた。ゴミが風で揺れてバラけるといけないと思い、直しに外に出てみたが、なにも音が鳴るようなものは見あたらなかった。まあいいやと戻ろうとすると、遠くのほうで「ポン、ポポポン」と再度音がして、花火のあがっている音だと判明。
立つ場所を移動して、遠目にでも花火が見られないかなと期待したけれど、中途半端な七階建てのマンションが、花火と私の家の間で見えないように障壁となっている。
見るのはあきらめ、そのまま台所に戻って、ナスの煮びたしとみそ汁、ブタもやしを作り、ひとりで食べ終えた。
テレビをつけずにお茶を飲んでいると、窓を閉めていたのだが、ちいさく花火の音が聞こえてくる。普段はほとんど読まない公報を再生ゴミの中から発掘して、今日がお祭りで、お祭りの花火大会が行われていることを知った。胸の中で高まるお祭り熱。ちょうど数日前に、遠くで生活している人が、「今日は錦帯橋の花火大会なんだけれど、一人なので行けないや」そういう会話しているのを目にしたり、「ひとりの時はじっと祭の時が過ぎるのを待つ」という内容の事が書かれている文章を読み、「ひとりでもせっかくの祭なんだから、そんなこと気にせずに行けばいいのに」という風に感じていた。私はお祭りで売っているりんご飴やリング焼きが大好きなので、それだけでも食べたいと思い、ちょっとだけ出かけてみようかと思い、出かけることにした。
カジュアルな格好で、車を運転して、花火が見やすい場所を探してゆくと、進むにしたがって浴衣を着た女の子や、奇抜な柄のTシャツを着た高校生、よさこいっぽいテイストのおばさん達。なんとはなしにみんな楽しそうに見えました。
車の窓を開けると、夏のむっとした匂いと焼きそば、イカ、甘いお菓子がこげる匂い、ザワザワする、たいしていいことは起きないんだけどいいことが起きそうな雰囲気に満ちていて、すこしだけうれしいような気持ちになりました。
なにか食べ物を買いたかったのですが、一人で運転しているため、信号待ちにちょっと行って買うというような事ができそうにありません。あきらめて、歩行者天国になっている場所を避け、花火が近くで見える場所を目指し、途中にあったコンビニエンスストアでカフェラテとアメリカンドッグ(祭りっぽいアイテムとして)を買いました。
花火が見えやすいであろう、川の堤防沿いの道路に行くと、たくさんの車が停車していましたが、なんとか停めることができました。そこから、遠くであがるきれいな花火を見たのですが、せっかくだから携帯で撮影しようとは思ったのですが、まったく面白いとかうれしいと思っていない自分に気づいて愕然としました。
祭りのまっただ中を通り、花火を見てようやく「ひとりで見ても面白くない」ということを心から実感しました。ほんとうにつまらない。いろいろと話そうと思う相手がいないことが悲しい*5
夏の実感はしっかりとあったのですが、胸躍るような事もなく、、いまいち何に対してなのかピンとこない大きな喪失感を感じたので、おなじような人がいたら寂しくないと思ったのですが誤算……。
夏の感受性ということより、季節や記号的なものではなく、恋人、パートナー、子どもなどとの関係がないと、すべてのイベントが自分とは遠くの場所で行われているなにかでしかないと、ずいぶんと年を取ってからようやく理解した気がする2006の夏でした。

*1:コレクターズの歌を参考にした

*2:カエルの轢死体は除く

*3:深いところは涼しいので、掘った場所にお腹を当てて涼をとる

*4:すこし血のような

*5:大事MANブラザーズイズム