パーティーが終わる前に"When The Partys Over"

私は、飲み会・パーティ*1を切り上げるタイミングを読むのがあまりうまくありません。その場が面白くない場合はさっさと帰ることができるのだけれども、面白かった場合や親しい人がその場にいると、途端に判断が鈍ってきます。
楽しい時間も、長引くと徐々に潮がゆっくりと引いていくようにダラっとした、やるせないものに変わり、人もひとりまたひとりと帰ってゆき、「友達はみんな帰ってしまった お気に入りのレコードも終わってしまった」という状態になって、取り残されたような、なんともいいようのないやるせない気分になります。大きな声で笑いながら、中心で話をしていた人がいなくなって、急に空間の広さを感じてその場所の温度がすっと下がるような……
インターネットの中で、ささやかなコメントのやり取りをきっかけにして、知り合った人がいます。笑いながら話をしているような、普段の生活では決して知り合う機会が無いであろう職種/性格/年齢の人たち。*2面と向かったら話すことはないような事を教えてもらったり、実際会ったら親しくなれないと思っていたタイプの人に対する考えを変えてくれるきっかけをくれたり。私はその人たちを「インターネットの人」というカテゴリーに入れているのですが、自分が現実で知り合った人とは違うと理解していると確認・もしくは人にアピールするために「インターネットの人」という表現を使っているのかもしれません*3。パソコンの電源を落とした瞬間にまったく関係がなくなって、実生活と切り替えているよという意味を込めて。もしかして、これは「インターネットの人」がいなくなってしまった時にさみしく感じないようにという防衛策なのかもしれないと思う機会がありました。
実生活では関係がないと理解しているはずの、「インターネットの人」のひとりが、急にホームページを消していなくなりました。気になるんだけれども、わざわざ連絡先を探すのも違うような気がして、なんともいえない心持ちになりました。楽しい飲み会で意気投合して友達になった人が、連絡先を交換する前にいなくなってしまったように寂しく感じて、ガッカリしている自分に対して、より大きな驚きを感じました。
この出来事がきっかけというわけではないのですが、最近なんとなく、はてなダイアリーが持っていた熱のようなものが(私はあまり会社やシステム的なものについては考えたことがないので、ぼんやりとした印象ですが)冷めてきたように感じ、もしこれが飲み会だったら、ポツポツ面白い人が去りだした状態のようです。上手に遊べる人なら、そろそろ家に帰るか、違う店に親しい人たちを連れて移動する頃合いかもしれないなと思いました。気に入った店でずっと他を気にせずに飲んでもいいし、ノンアルコールの店に行き酔いを醒ましながら仕事の話をするのもいい。自分はどうしたいのでしょうか。
私は飲み会やパーティの切り上げ時を読むのが苦手だし、ここは座り心地もよい場所なので、もうすこし時間をつぶしながらこれからどうしようかと考えています。

※すごく格好をつけた見出しをつけてみましたと、言い訳のように最後に書いておきます。すこしうまいぐあい…

*1:それほど出席した回数はないけれど

*2:性善説でみんな良い人という捉え方ではありません

*3:まったく逆の意になるけれど、人にツコミを受ける前に「ネットジャンキーですから」と先回りして言うのとよく似ているように思います。"i know, i know"を連発している感じ。