イラクサ

人に「なにかおもしろい小説はない?」と訊ねられると、なかなかスッと答えることができない。自分とよく似た好みの人に対しても難しい。「おもしろい」という言葉の解釈だってある。「愉快な感じで軽快に読める」という意味か、「グイグイ引き込まれる」という意味の違いもある。「だったら、最近あなたが読んで面白かったものを教えて」と言われるのが一番答えやすいのだけれども、自分の好きなジャンルの物があまり人に受け入れられにくいかもしれない場合、ちょっと躊躇する。
私は短編が連続して、ぼんやりと一つのまとまった話になるような小説が好きで、どうしても登場人物が多数出てくることになる。主人公や視点がクルクル入れ替わる上、外国の小説だと、登場人物の名前の響きになじみのない物が多いので、慣れていない人は誰がどこでどうなったのだか混乱してしまうのが分かる。小学生の時に図書館にあった本は、よく表紙の折り返しのところやしおりに主人公やライバルの名前、周りの人間関係がわかりやすく書いてあった。あれはほんとうに便利だった。読むのを休んで、ちょっと分からなくなったときは、それを見たら「ああ、そうだったそうだった」とすぐに理解できた。それに比べると、大人の読む本はあまり親切ではない。
そういったわかりにくさを踏まえた上で、読んで欲しい本について書きます。この本「イラクサ」はかなり取っつきにくいけれど、敷居の高い入り口を越えたときから、大事な一冊になる本だと思います。
淡々としたやわらかい感触の文章で語られるのは、知らない町での出来事を真顔で聞かされるような、べつだん教訓も悲劇もないけれど、なにかもの悲しい話。独立した話の連続なので、パラパラと読んでは休み、読んでは休みとしながら楽しい。

イラクサ - アリス・マンロー著 小竹 由美子 訳

なんでもない田舎駅の駅員から縮れ毛の女、陳列している物がさっぱり入れ替わる様子はないけれどきれいにしている洋品店でのやりとり、周りの人間と時間に置き去りにされた、なにもできない名家の主人。なくなったその娘、娘とかつて結婚していた、ろくでなしの男、その男の早熟な孫娘、その孫娘が街を出て、良家の子息が行く学校に行ってしまったために田舎町に取り残された靴屋の娘。
古びた立派な家具、なにもない荒野を走る列車、残酷ないたずら、届かない手紙、騙されて手にしたホテル、気管支炎、丈夫な体、貯金、買い出し、思いこみ、出会い、死、結実、生まれる命。
この言葉の中身が、詰め込まれた感じなど微塵もなくすっと流れてゆく69ページ。
Hateship, Friendship, Courtship, Loveship, Marrige

遠くからやってきた、パンにケチャップを塗るのが大好きな少年と過ごした、少女の短いけれど濃密な記憶。三十年の時間が経ってから唐突に再会して生まれる感情と、大人になった少年が見せたどうしようもなく暗く重いもの。
短く、平易な文の中に、上質な話がたくさん詰まっているいい本でした。