茨木の妖精

これは…狙いがさっぱりわからない像。大阪府茨木市役所の近く、朝日の中、「たかはし」という名前の橋の上に鎮座ましましているおかしな少年を見つけました。まず橋の名前に突っこみたい所ですが、落ち着いて考えないと…なんじゃこれ…像のまえでぼんやりと眺めますが、周りを通り過ぎてゆく人はまったく注意を払っていません。
橋の名前がたかはし…?行政が作ったとしたら、いい感じにキレています。
Ibaraki Osaka Funny kid on the bridge

Ibaraki Osaka Funny kid on the bridge(sideview)

<追記>
このおかしな像は、茨木童子という鬼というそうです。
いろいろ見ているうちに、鬼の町「大江町」が気になってきました…
(リンク・酒呑童子)http://babu.com/~hamadayori/9909/oni.htm

伝説の鬼「茨木童子」という鬼が、富松の里でうまれ、茨木の里に捨てられていたところを酒呑童子に拾われ養われたと元禄14年(1701年)に刊行された『摂陽群談』に記載されています。成長後の童子を知る文献としては、平家物語(剣の巻)、お伽草子酒呑童子)や羅生門などにでてくる話で、後に歌舞伎(茨木)や戻橋などに渡辺綱と戦った酒呑童子と共に広く伝えられ、親しまれてきました。
歌舞伎や演劇により多少の脚色はあるとは思いますが概ね、「茨木童子」の人間性?が表現されているものとの解釈から茨木童子酒呑童子の伝説は、色々と面白い説話だと感じられます。茨木童子人間性と記したのは、ある説によると、茨木童子酒呑童子は都を荒らし、夜な夜な出没する恐ろしい鬼ではなく、元は比叡山にて修行をしていた雑役僧とも言われており、その修行の厳しさに耐え兼ね比叡山より逃げ、八瀬に降り立ち、食を得る為に都に出没していた者達だとも伝えられています。。雑役僧は修行の浅さからか・・・・結髪が認められず、長く髪を伸ばした様子であり又、世を極める以前の子どもの程であった為に童子ともいわれていた様です。


大阪府茨木市。ここの出身の人は、90%以上の確率で「濁らずにいばら『』です」と自分の町の名前を説明してくれます。その刹那、「これで何回目なんだろう」と思うのです。「濁られたくない思い」大事にしたいものです。