人間っていいな街宣車

子供のころ、街宣車といえばだいたい軍歌か演歌を大音響で流していたけれど、何回か「日本むかし話」のエンディングを流しながら低速で走っていく街宣車を見たことがある。
街宣車は怖いものという考えがあったからそれほど近づかなかったけれど、何とはなしに自転車に乗っている小学生が一定の距離を置いて追走し始めて、それにつられて何台も何台も集まって、ちょっとしたハーメルンの笛吹き状態になっていた。

街宣車といえども赤信号では停まるので、そうすると自転車の群れもびっくりしながら停まったりしつつ、群れの中から街宣車に最短距離まで近寄れることを誇示しようとする子供も出てきたりして。

中が見えないようになっている街宣車の中から「あんまり近づくと危ないぞオラ!」的な若い兄ちゃんの声が聞こえてきたりしてきた。

結局、街宣車は駅の近くにあったそば屋さんの近くに停車して、周りを小学生が見守る中、飛び出してきたそば屋のおじちゃんに「うるせえ!ここにはあんたら関係ないやろ!」と怒鳴られ、「なんじゃワレは!!」といきりたつ若い兄ちゃんとつかみ合いぽくなっているところを、街宣車の奥から(その頃には自転車軍団は超至近距離に接近していて、街宣車の中に布団が置いてあったり、字のめっちゃ書いてある布を目にしていた)想像していたよりもずっと若く貧相な学生服みたいな服を着たちいさなおじさんが「まあまあ、シロウトさんに迷惑かけちゃいけないよ」とすごくもっともらしく若い兄ちゃんを止めていた。


今考えると、全部学生服みたいな服を着たちいさなおじさんがやらせていたんだろうし、「おしりを出した子一等賞」を流した意味もわからないし、謎とぼんやりしたおかしみしか残っていない。


街宣車は音楽を停めて、子供たちは家に散り散りに帰ったけれど、あれはいったいなんだったんだろう。同じような街宣車体験した人はいるのでしょうか

マイ路線(163)

私には思い入れのある道路や電車の路線がありますが、みなさんのマイ路線はなんですか?教えてください。

当然あるよね……と思いつつ書き始めましたが、よくよく考えたら話す機会もない上*1、マイ道路&路線所持についてそんな疑問が浮かびました。

私のマイ路線は国道163号線。この道路は大阪から三重県へと続く、山の間、川べりをぐねぐねと蛇行しながら県境を行ったり来たりする細い山道です。高速道路代を節約したいトラックが、ほぼ道幅いっぱいを使ってかなり飛ばして走るので、初めて走ったときは、きついカーブでセンターラインをついうっかりはみ出してしまったトラックに引っかけられて「あーれー」とばかりに崖下に落ちていく自分のイメージが浮かび、かなりおっかなびっくりの運転になります。途中に点在する集落は「過疎に悩む滅びゆく村」として特集されかねないテイストの場所ばかりで、二十年か三十年ほど前から時間が止まったままのようです。

drive my car @ root163

*1:話した覚えもない

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結婚しました(覚悟完了)


私は覚悟を決めたことがない。進学・就職の時も、大きな病気にかかったときも、就職先を決めるときも転職するときも、人と付き合ったり別れたりするときも。
すべてなんとなく流されるままにというかレットイットビーケセラセラなるようになるさ……といった調子で、悪い意味で柔軟にやってきた。その中で失敗もなんとなくやりすごせたことも取り返しのつかないこともあったけれど、現在は仕事の忙しさに押しつぶされそうで、体力的にも精神的にもしんどいながらもなんとかかんとかやっている。案外腹を括らなくても人生はやっていけるというか、雑なうねりの流れの上で浮いているだけかもしれないが。

日記をここ(インターネット上)で書いていることによっていいことがたくさんあった。悪いことはほとんど起きなかった。物事を捉える姿勢次第といえるのかもしれないが、どちらかというと目の前で起きている出来事をすこし引いた場所から細い目で見ているような自分がそう感じるのだから、かなりインターネット上で幸福に恵まれているんだろうと思う。

インターネット上では普段の生活で人と接して受け取ることのできる「やさしさ」よりもより純化して抽出された「好意」を受け取ることができるように思う。そしてしんどいときにその気持ちを直近にいる人に話すよりも、その気持ちを素直に吐き出すこともできる。それは錯覚や逃避行動だと捉える人もいると思うけれど、なにも外にアウトプットせず心のなかに澱をため沈み込んでゆくよりずっと良いことだと私は考えている。


こうしてちょっとしたまとめ的なことを書いていると、さよならの挨拶をしているような気持ちになってくるけれど、今回の日記はそうではなく、自分の身に起きたちょっとした変化について覚え書きをしておこうと思う。どうしてそんなことを書こうとおもうのかと自問してみたら、うすぼんやりと、親しい友達に話をしておきたくなる気持ちに似ていると感じた。

現在、私はちょっとしたアイソレーション的な状態にあり、親しい友人たちと連絡をほとんどとっていない。それは別段大きな理由も障害もあるわけでもなく、ただメールなり電話なりの連絡を一回取れば済むのに、その一歩が時間が経つごとに微妙にハードルが上がりどうにも取りづらくなり、年を取るごとに人と疎遠になってゆくというのはこんなものなのかなと実感している。この感触を他の人たちも感じているのか、年を取るごとに流れている時間の流れが加速しているせいなのかどうかは、はっきりとはわからない。


私は周囲で起こっている物事や人の人生を垣間見てそのことを書いたりしてきたけれど、自分や身近な人について考えたり書いたりすることはあまりなかった。それは実際の人生においても同じで、自分の人生や人の人生について積極的に関わることがなかった。自分の責任で引き受けるのが怖かったのだろう。そうして無責任に30歳を過ぎるまで生きてきて、それまで幸運にも自分を好きになってくれる人がいたため、別段結婚しなくてもこうやってやっていけてるしご飯も掃除も洗濯もゲームもネットも仕事もあるしな……と言い訳してきた。


しかしそろそろ人生において一個ぐらい覚悟を決めて引き受けなければいけないな……と腹を括り、離れた街でやせっぽちになって心細い顔でいる彼女のことを心配して暮らすより、一緒にいてしんどいことも楽しいことも全部引き受けてやっていこうと思い、結婚することにしました。ずいぶん前になぜか関ヶ原古戦場、石田三成の陣があったあたりの休耕田ですみれの花を摘んだ彼女に野の花のブーケでプロポーズされたという書いていてこれを涼しい顔でタイピングしている私すごい豪胆だよね……という出来事から半年後のことです。

こう書くと今から結婚するような感じですが、けっこう前のことなのです。これからこの日記で自分や彼女のことを書いていこうと思ったので、こうしてここで報告しています。


自分でも「どうして僕はこんなところに」と不思議に思うのですが、今は結婚してド田舎の柵のない一軒家で猫3匹と犬1匹と蛇30匹弱とヤスデやタランチュラ&ねずみが大勢と暮らしているのですが、それはこれから書いていこうと思っています。


kakaさん,strangefruitsさん、ありがとう。ほんとうに大きな感謝を込めて。


結婚しました(覚・悟・完・了!)

かえるをたべる

私はカエルが好きで、かわいがって飼っています。それはもう食べちゃいたいぐらいにかわいく……というわけではないのですが、名古屋のカズさんという、気が狂っているんじゃないかと思うほど家に動物をわんさか飼っている痩せぎすの人に「なにかいいテイストの食べるところないですか?」と訊ねたら、さわやかな笑顔と共に教えてもらったのが「かえるが食べられるお店」でした。

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時間がどんどん加速していくような

歳をとるにつれ体感する時間の流れが早くなってゆくという実感をもたれる人が多数おられるかと思いますが、私も最近かなり時間がんばってるな、この勢いは新幹線300系アーバンライナー(近鉄電車の中では最速の機種)じゃないかと思うようになりました。
時間の流れの話を軽い気持ちですると、毎日変化のない生活をするようになって、子供のときのように新しい出来事や知識の吸収がないから、象のように体の大きなものとネズミのように小さなものとの時間の流れの違い、生活の中で自分で作る余裕のある時間の話、DoToや優先順位などの分かったような分からないような結局そういう風に考えている人がいるんだろうけど結局時間は早く過ぎ去っていくし、これは時間が加速しているんだ、ドラえもんでタイムマシンの中を通過するときにダリが描いたグニャッと曲がった時計が壁面にあるトンネル的なイメージのものが私の周りに透明な皮膜的な感じで覆っているのではないか、そんなわけないんだけどこの時の流れはおかしいぞ早すぎる……


そんなことを思ったりもするよ。

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山の急斜面からからおじいさん

山の近くの一軒家に引越をして、家の近所にびっくりするぐらいに自然が残っている場所を発見しました。そこは近くに人家がバリバリあるのですが、細い道の両側に水田があり、その脇に急斜面の杉林、逆側には幹の太い広葉樹の森を持っています。ちょうど道路がうまいぐあいに交差していないため、まったく人の気配がない+森から染み出してくる水のために、とても冷たい清流的なドブが生まれています。
軽い気持ちで田んぼの脇を覗いてみると、まるでミニチュアの自然再現施設のようにウジャウジャと虫や水生昆虫の姿があって衝撃的。40センチぐらいの溝の中に、まず小さなフナ、ニホンドジョウ、タイコウチ、ミズスマシ、ミズカマキリ、アメンボ、ゲンゴロウ、ハゼみたいな魚、アカハライモリ、トノサマガエル、アマガエル、ウシガエル、モロコ、アメリカザリガニ、スッポン(死骸でしたが)、クサガメ、きれいなほうのカメ、ジムグリ、ヒルなどの姿が二十分ほどで見られました。

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庭がない

家を手に入れたのですが、家だけで全てのたくわえが言葉どおり尽きてしまったため、庭に言葉どおりなにもありません。柵も、塀も、花も木もなく、雑草があるだけで、家の中にテレビも小さなものしかなく、ソファーもないのでいつも体中が痛いような状態で過ごしています。庭に何もないというのは相当にノーガードな感じがして、一日中カーテンや雨戸を閉めっぱなしかつ神経を使うので、やっぱり計画性とかって大事だなと痛感しています。
あと、家は何坪だとか何ヘーベーだとか聞かれるのですが、本気でよくわかっていないのでいつもあいまいに言葉をにごしながらなんとかやりすごしています。生まれて初めて団地の掃除大会のようなものに参加しなければいけなかったのですが、そこにいるのはある程度しっかりとした年齢の人や子供の親のような人たちばかりで、微妙な距離感を詰めることができず、あきらかに見た目的にも浮いてしまった感じで、もっとやる気(頭にタオルとか、デンキでウイーンと動く恐ろしいホラー映画で間違って体を切断するようなやつをもつとか)するべきであったのではないかと、息子を進学校か変に進学のことをウィ考えずにシンプルに働くような学校に行かすか、それと雨のとき、どの程度で送っていってやるべきか話をしている主婦の中で、枯れ草を踏んで圧縮、燃えるごみの袋に詰めながら、ああ、いま自分はすこし前に思っていた場所からずいぶん遠い場所にいるな…そしていろいろとやる気はあるけどどうやっていけばいいかまったくわかんねぇな…などと、ひとりだけ帽子をかぶるのを忘れ、汗が目に染みるとやっぱり痛いなと感じながら空を見たら、別段なんの感慨も起きないような空模様で、こんなときは真っ青か曇天模様にしてくれよ(心情的に)と思いました